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旧 高岸さんを偲ぶ

項目

 

 

高岸保男さん

 

 

高岸さんを偲ぶ

民主党よ!政権与党になれるか?

日本再構築は新しい憲法から! その1

日本再構築は新しい憲法から! その2

日本再構築は新しい憲法から! その3

安倍首相は辞任の前にこれだけはやってほしかった!!

今、日本の再生にはやはり、憲法改正が必要だ

 

 

 


 


大幡高通さん

 

 大幡高通さん93歳が一昨日の4月3日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。   お読みいただいた皆様へ 彼に代わって御礼申し上げます。            ありがとうございました。          

2022年4月5日

 

関根さん

 

 


 


 


 

 

 

  



  高岸さんを偲ぶ



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 2013年6月25日
                                   

 
2013年 6月25日 09時7分

 高岸さんが永眠されました。
心よりお悔やみ申し上げます。
彼と一緒に15年以上にわたって代議士のポステイングのボランテイアをしてきました。
いずれ議員に首相になってもらい、首相官邸でイッパイやろうと目標してきましたが、残念です。

このブログやHPは病床の彼に読んでもらうのを目的として立ち上げたものです。
検索により彼の文章を見つけましたので、転載させていただきます。

          


                       

 



 彼の亡き後の新3Pの3人で、ちょうど3年目をむかえた2015年6月25日、お墓参りに行ってきました。午後にはポステイングを行い。夕方より代議士が参加して、久方ぶりに交えての飲み会を行いました。彼も天国で参加してくれたことと思います。

            2015-6-25









   民主党よ!政権与党になれるか?

                  高岸

 2007年9月

自民党の敗北は自滅だった。

まず、参院選に影響したのは選挙寸前の出来事ばかりだった。年金問題や閣僚の失態が続いた。選挙戦を通じて安倍首相は憲法改正や教育などの大問題を掲げて選挙をしたつもりだったが国民は全然関心がなかった。(私には大いに興味があったが)泥臭く民主党の向こうを張って、小泉前首相を見習、安倍首相に責任がなかったのでシングル・イシュウ戦術、「この際、社会保険庁、官公労をぶっつぶす」と。困るのは民主党ではなかったのかと、読売新聞8/18“なるか再生”で劇作家の山崎正和氏の興味深い記事が目に付いた。

敗因は色々あるが主因は地域経済再活性化に向け地方分権の推進と道州制の採用に安倍執行部、霞ヶ関官僚らは本気に取り組む姿勢を見せなかった(日経8/17大機小機参照)のではないのか。本稿ではそれをあまり問わない。


民主党の大勝その日から、小沢代表の試練と悩みが始まった。

民主党は来年四月、結党十周年を向える。党内では小沢派や左・右翼、反小沢派など大分して五つか六つのグループに分かれると思われるが、とりあえず小沢批判は鳴りを潜めた感がある。各誌の社説は総じて民主党に対してかっての野党のように“なんでも反対”ではなく、大人の対応や「政権責任」を分担せよ(読売8/16)と論じているのが目立つ。

今回の参院選対策で民主党は現職大臣の敵失(筆者はこれら一連の発言騒動はたいしたことではなく“しょうがない”と思うが)や、社保庁年金問題などの追い風を意識しながら小沢執行部は政策で軸足の違う前原誠司前代表や岡田克也元代表らグループの党内不満分子の理解と協力を得た。農村部、無党派層をどうやって取り込むか!それは『国民の生活が第一』とマニフエストの前面に掲げ選挙戦に突入。結果は小沢旋風が列島を縦断した。


衆参ねじれ国会での民主党の対応を国民が注視している。

今回は民主党が勝ったのではなく、また中間層(または無党派層)からの信任によるものでもないことは小沢執行部は百も承知だ。難問はいくつもあるが、まずはテロ特措法期限延長問題をどうクリアーするのかが最大のテ-マと思われる。

 ポスト小沢の思惑、小沢路線への疑問を口にする人は誰もいなくなった。政権視野を目の前にして強まる結束は喜ばしいことだ。しかし野心は衆院選後までお預けとし、上述の解決をしなければならない。考えられる事はひとつ目は大衆迎合と言われようが自民党に妥協。二つ目は小沢党首が否定したように参議院で否決か。しかし自国の国防をどうするか?。三つ目は、かって1998年7月「金融国会」で自民党内の司令塔不在もあり迷走したが、最後は自民、民主の若手議員が協議、取りまとめた案を政府・自民党が採用した。が、柳の下の二匹目のどじょうを探さなければならないが果たしているか。

〔注〕・・・最前線で活躍した若手とは、石原伸晃氏(現自民党幹事長代理)や、塩崎恭久氏(現官房長官)らが民主党の若手、枝野幸男氏(現民主党憲法調査会会長)らが政策に強い事から“政策新人類”といわれた。


めざすは二大政党。野党第一党の民主党はドイツに学ぼう! 

1968年、ドイツは非常事態に対応するため28か条の法の大改正をした。それには社民党(SPD)の力が大きかった。当時、野党である社民党執行部は改正に強硬に反対する学生や知識人と一線を画し、保守系のキリスト教民主・社会同盟と粘り強く修正作業を重ねながら改正にこぎつけた。これによって社民党は政権能力を国民に印象付け、一年後にはブラント政権が誕生した。政権交代を目指す民主党にとって十分参考にすべき「歴史の教訓」だと読売新聞橋本五郎編集委員(06・4/15)が論じていた。

 今の民主党に最もふさわしい言葉だと思うが皆さんいかがか。ご意見を賜りたい。また安倍内閣が早く、上品でお友達内閣、戦後レジームから脱し国民主権の憲法・骨太の政策・『美しい日本』づくりに時間を使って欲しい。

 




            高岸さんを偲ぶ  その2

 彼が亡くなってから1年以上も経ちました。 彼の属していた会が解散になり、記念誌が発行されました。
その中で彼の記事を以下5編載せることにしました。
 いつもワイワイとやっていたのにさみしい思いです。
  

              2014-8-9



 




  日本再構築は新しい憲法から! その1

                      高岸

 はじめに、これからでか遅くない!日本再生はできる。
 本年は大東亜戦争終戦から満60年。敗戦の泥沼から這い上がり、生き延びるため祖国防衛は米国占頷軍におまかせ、経済を最優先、高度成長時代を築いてくれた戦中派からバトンタッチを受けた昭和ヒトケタ、フタケタ生まれの同輩がやっと世界の先進国(主要国)に仲間入り。これはメデタイことであったはずだが?しかし最近の複雑な国際情勢、国内では倫理観の欠如、凶悪犯罪の若年化、遊び・ゲーム感覚としか思われない様な陰惨な事件が毎日発生しています。


 私が日本の国が少しおかしくなっているなあ・・・・?と感じ始めたのは、昭和43年の夏に始めて先進国である米国、カナダの住
宅産業の研修・合板建材業界の視察に訪れた頃からだと思います。


 また昭和47年、戒厳令が布かれてはいたが韓国では規律の高い市民生活や国家運営には驚きと戸惑いは感じました。が、たびたびバイヤーとして訪れるたびに韓国の良さに惹かれました。変な自由とか人権、平等が前面に出すぎ「タガ」の緩み始めた日本と比較すると考えさせられる毎日でした。東南アジアでも、文化や気候風土の違いがあるが根本的な国のあり方・愛国心や人びとに対するやさしさにふれ、帰国するたびにわけの分からない気分が心のどこかに鬱積しはじめ、政治に関心を持ち始めました。それは何かのかを私なりに検証してみました。

なぜ 日本がおかしくなりはじめたのか?
 やはり大東亜戦争の戦後処理のまずさにあったのではないのか。はじめに完璧なまでの敗北感を味わされた極東軍事裁判(東京裁判)。
2つ目は占領軍民生局の左傾化リペラル派による憲法改正。3つ目はボディーブローのように日本民族をだめにした教育基本法の制定
だと思います。
 紙面の許される限り敗戦から新憲法制定(公布は昭和21平11月3日)まで完全に打ちのめされた日本政府および帝国議会の挫折
感の教ケ月を追って見た。

決断がおくれ責任をとらない高級(軍)官僚と政治家 ポツダム宣言が発せられて正式に受託を決めたのは、2週間後の昭和20年8月9日の深夜、御前合議での陛下のご決断によってであった。当時の陸海相、軍部、枢相、外相らの議論はかみ合わず鈴木内閣の結論が出なかった。まことに痛恨の極みは3日まえに広島に原爆が投下され当日の朝にはソ連参戦という、わが国にとってはまさに決定的な事態が生起していた。閣議は紛糾したが、結局、14日の再度の御前分譲で決断され8月15日が終戦記念日となった。
日本を骨ぬきにしたマッカ-サーとGHO左翼思想民生局の占領政策 8月30日、厚木に到着した連合国軍最高司令官総司令部(GHO)、最高司令官マッカ-サー元帥(SCAP)はポツダム宣言における「有条件降伏」の原則から「無条件降伏」の原則にすり替えマッカーサーは天皇をも日本政府をも凌ぐ、日本国内の最高権力者として東京に駐在すること5年8ヵ月。彼は自らの権限の範囲に不満を感じ、もっとおおきな権限を認める様、強硬に本国に申し入れた。
9月6日、統合参謀本部からのマッカーサーに送られた通達こそ彼に「全能の能力」を与えた、まさに破天荒な不法文書であった。9月11日、東条内閣の閣僚全員を全む39人の逮捕指令を発表した。


 この戦犯逮捕に日本国民は身を低くして息を潜めた。引き続き、さらに米軍宣伝対策局の声明『日本は文明諸国家間に位置を占める権利を容認されていない、敗比せる敵である。(中略)・・・』と。
民牛王義の権現といわれた米国、GHOの新聞社・放送局への相次ぐ弾圧、検閲。つづいて9月18日「朝日新聞」の発行停止。そうして日本のマスコミがGHOの御用機関に堕しめられたのであった。
 この一連の占領政策は多くの識者により、明らかにされたが、マインドコントロールされ勝抜けにされた左翼系のマスコミ、知識人、政官関係者らは自らの都合の悪いことは多く語らない。

これでも護憲派が騒いでいる平和憲法か?制憲史の真実を教えない日教組

 マッカーサーは10月4日に近衛文麿公爵に第一に憲法は改正を要する・・・(中略)と述べた。早速、近衛公は帝国憲法改正の準備にとりかかった。しかし、マッカーサーの裏切りとウソにより戦犯に指定され、出頭日の前日12月15日夜、彼は青酸カリを仰ぎ戦犯の屈辱を死をもって拒否した。残された遺書には『戦争に伴う興奮と激情と、勝てる者の行きすぎた増長と、破れたる者の過度の卑屈と故意の中傷・・・(中略)』の言葉があったという。引き続き総司令部民生局局長ホイットニー准将にも憲法改正を急がせた。
色々と言われているがマッカーサーは自己の日本占領における「記念碑」を独自に打ちたてるべく、自らの手による憲法改正に異常な情熱を燃やし、その完成を急ぎ始めていたのである(GHQ民生局員フランク・リゾー大尉の回想より)。日本改造すべく新しい憲法草案の起草にあたり留意すべき原則を示した所謂「マッ力-サー・ノート」を手渡し、具体的作業を終戦の翌年、まだ厳しい寒さが残る2月3日に皇居を見下ろす第一生命ビル内GHO最高司令宮室で命じた。


 民生局に全体を統括する運営委員会を設置したメンバーはロースクール出の弁護士ケーデイス大佐ら数人の思想的にはきわめて左翼的リベラルな傾向をもつ進歩派の軍人たちであった(西修氏)。SCAPから「マッ力-サー・ノート」に基づき具体的な作業開始を命じた。このマッカーサー・ノート三原則とは(1)天皇は国家元首の地位にある・・・(2)国家主権の発動としての戦争は、廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。・・・(3)は日本の封建制度は廃止される・・・(申略)。


 敗戦の翌年2月4日からたったの1週間で民生局案の草案が提示された。日本側の松本国務相を委員長する憲法問題調査委員会の草案の再検討、3月6日夜、かくして「憲法改正草案要綱」は発表された。天皇制擁護など絡んでいたが、ここらへんのGHOとのやりとりは多くあるが割愛させていただく。帝国議会での審議は幣原内閣に引き続き、5月22日吉田内閣が成立。運命の悲しくも屈辱的な新憲法の公布、11月3日を迎えた。

 日本をだめにした戦後民主教育、過激化する社会状況

 GHOは日本が世界に誇る二千年の歴史、文化を無視し間違った歴史教育・自虐史観教育がなされた。この時期における社会状況は日増しに左傾化と過激化の色彩を強めていた。占領軍から出された指令、覚書は10月15日の治安維持法などの廃止。皮切りに、労働祖合法公布、極め付きは12月31日、修身・日本歴史教育の授業廃止、教育・思想など全般にわたって旧体制の破壊を命じた。現在もわが国を歪めている公正中立を求められている公務員の教職員労働組合・自治労らは悪しき制度であると思う。当局の猛省を促じたい。(参考資料 憲法はかくして作られた。日本政策研究センターより

 各政党・有識者・マスコミ等から盛り上がる憲法論議を成就させよう!

 憲法改正試案は1994年つづいて04年読売新聞社が発表、05年1月21日世界平和研究所(元首相中曽根会長)も発表。まことに心強く思います。憲法と付属法の関係、わが国民族の将来に最も大事な教育基本法改正、安全保障・集団的自衛権・環境問題などテーマが山積している現在、政治家の正念場である。私たちは憲法改革で盛り上がっている今国会を注視しよう!〔参考〕昭和27年4月28日。この日、我が日本国が前年の九月に大東亜戦争での旧敵国である連合圃諸国との間に締結したサンフランシスコ平和条約が、その国際条約としての効力が発生いたしました。この日を以て日本国は米国軍隊による軍事占頷下の被監視国といふ屈辱から脱出し、晴れて濁立の国家主権を保有する国たるの面目を回復したはずなのです。・・・(主権回復50周年記念国民集

会趣意書「主権国家の民としての自覚と誇りを!」から)

                   (2005年2月)
 






   日本再構築は新しい憲法から! その2

                             高岸

 日本をだめにした戦後民主教育、過激化する社会状況

あのマッカーサー元帥が占領政策の過ちを認めた

 私の長兄が大東亜戦争の漱戦地、中部支那戦線で終戦を1年?残して戦死した。私は尋常小学校2年の時でした。日本国陸海軍がなぜ満州、支那へ、南方へと進出していったのか、なぜ世界の強国米軍と交戦しなければならなかったのか?、敗戦後学校では日露戦争以降の一番大事な歴史を先生方は貝のようにおしだまり教えては頂けなかった。今も日教組中心の小中学校での歴史教育は反日思想、自虐史観に溢れた状況がつづいております。


 何故なのか?前稿を書き上げている内に私なりの疑問が湧いてきた。日本が第二次世界大戦の敗者であった事実に今なお縛られている状況に由来する。60年過ぎてもどうしても克服できない。アメリカや中国のせいではかならずしもない。日本人が自分で自分を呪縛している心の隘路から自ら抜け出せないでいる現実がつづく(西尾幹二国家解体阻止寧写九段下合議より)と。また、GHOの左傾化された民生局による権力行使や我が民族のマインドコントロールされたことなども述べた。


 意外に知られていないのに、日米戦争の末期、コーデル・ハルは「日本をアジア解放に殉じた国と思わせてはならない」とルーズペルトに進言した。大統領はそれを占領政策の柱にした。それが「War Guilt information Probrem」。
日本は侵略戦争を仕掛け、アジアを戦場と化し、残虐非道を働いた。そう日本人にも吹き込んだ(高山正之帝京大学教授 過開新潮2/10)ことも知った。


 マ元帥が日本国内の最高権力者として5年8ヶ月駐在、米国上院軍事外交合同委員会で非常に重要な証言をしています。『STRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR=』、昭和26年年5月3日にラッセル委員長の質問に答えた部分の結びに出てくる所感、当時の朝日新聞を引用すると、「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える・・・」これはいわばこの時点でのマ元帥の信条告白であり、かつ懺悔であった。彼の部下である民生局中の左翼分子が育成したともいえる日本の共産主義者達の急激な伸張を目にした。東京裁判において被告側(日本)弁護団が力説した1920年代、30年代に日本に追っていた赤化謀略の脅威と日本の懸命なる防共努力の事蹟も彼の耳にはいった。


 さらに、6月25日満を持して南になだれ込んだ北朝鮮軍の急進撃とその背後に控えた中共軍の大兵力の存在があった。マ元帥は朝
鮮動乱への対応に関して米国大統領府と意見を異にしたことが結局彼の政治的生命の命取りとなり解任されることになる。その後の中
国・朝鮮半島との関係は周知のとうりである。朝鮮動乱勃発は彼が到遠した深刻な認識、自分自身を含めての「アメリカ誤てり」であ
り、共産主義の危険性と犯罪性について真に覚醒したと思われる。


 しかし、その頃の米国政府中枢部は未だ眼を醒ましていなかったと思う。その苛立たしさが、前述の所感であり、ある意味ではこの告白は紛れもなく「東京裁判は誤りだった」という認識の、もう一つ別の表現ではなかろうかと。小堀桂一郎東京大学名誉教授、渡部昇一上智大学名誉教授、井沢元彦作家「諸君」6月号の対談でも掲載されていた。この極東国際軍事裁判の正否はやがてA級戦犯の靖国神社合祀問題につながるが、このトラウマ的な東京裁判史観、歴史教科書問題等は次稿で触れて見たい先の戦争の基本的な問題の解決なしに何十回謝罪しても相手からは理解が得られない GHOにマインドコントロールされ魂なき憲法を積んだ日本丸(たぶん米軍払い下げの中古船であろう)は、鉄のカーテン(旧ソ連)や竹藪(中共)に包囲されて沈没寸前で出港。その後、半世紀も長い間、船長なき航海であった。プライドまで捨てた海洋国家?日本丸が遭難のたびに船主(米国)に助けを求めた。しかし問題の解決はすべて謝罪とお金だ!の精神。これでは日本にも問題があるし近隣諸国の理解、協力は得られないであろう。運航を士官(官僚)に任せっぱなしの船が左や右翼に傾いても時化(シケ)になれば投錨したり、荒波に向って真っすぐが操船のコツだ。長い時間がかかったが乗組員(国民)はなんぼ馬鹿でも気づかないわけがない。ここは積荷と士官クラスの入れ替えが必要だと。

 やっと憲法調査会が衆参両院で最終報告書を提出

 前稿より、日本が連合軍の占領、特異な事情のもとの憲法制定とGHQの関係などにふれてきた。昭和27年4月28日主権回復からすでに50数年、法治国家?と言いながら「放置」されてきた憲法、ヒステリックに護憲、護憲と「誤権」を振りまいた知識階級と称する何も改革しない革新派左翼。もう論憲の段階は過ぎた。大衆迎合の政治家は今日ほど必要としない時代になった。 戦後の憲法論議の歴史を考えると画期的なことである。衆議院憲法調査会(中山太郎会長)が、5年にわたる結果をまとめた報告書を議長に提出した。それに合わせ、4月15日読売新聞社は各党憲法調査会トップ自民党安岡興治、民主党植野幸男、公明党太田昭宏の各氏による座談会が聞かれた。冒頭、民主党憲法調査会会長(埼玉県連代表)の発言が目をひいた。司会者からの衆院同調査会での5年間の議論の評価は?に対し「5年間で3つのトラウマ(精神的な傷)からほぼ脱却できた。1番目は押し付け憲法論。米国からの押し付けかどうかとの後ろ向きの議論をしなくてよくなった。2つ目は護憲か改憲かという二元論。どう変えるかで賛否が分かれるのだから二元論はありえない。3つ目は9粂。9条は問題の一つに過ぎないと整理された」。また、朝日新聞3/8付で同氏は「憲法は、あらゆることをきめているわけではない。ここに、多くの人の勘違いがある。憲法は政治の枠組みを決めているだけである。どの党が政権をとっても従うべき「公権力行使のルール」であり、共通の土俵である」と。全くの同感である。野党第一党の民主党の複雑な党内意見をまとめての所感は政権担当能力と意欲を感じたのは私だけではないであろう。

 野党第一党の民主党はドイツに学ぼう!!

 1968年にドイツは非常事態に対応するため、28ヵ条の大改正をしたが、それには社民党(SPD)の力が大きかった。当時、野党である社民党執行部は改正に強硬に反対する学生や知識人と一線を画し、保守系のキリスト教民主・社会同盟と粘り強く修正作業を重ねながら改正にこギ突けた。これによって杜氏党は政権担当能力を国民に印象付け、1年後にはプラント政権が誕生した。政権交代を目指す民主党にとって十分参考にすべき「歴史の教訓」。だと読売新聞4/15付きで橋本五郎編集委員が論じていた。
 全体を週してやや気になったのは条文ごとの技術的な改正論が目に付き、憲法、国家とは何かという骨太の議論が不十分だったのではないかという点だ(読売4/16・西修駒大教授)と。

 これだけは新憲法にいれたい

 最後に新憲法に期待したい。国を愛する心、そして安全・治安を含め、自分の国は自分で守る自然権としては当然だが国防を忘れてはならない。自由だが規律のある学校教育たとえば旧制高校での指導者づくりも検討に値しよう。公共・道徳心の高揚も必要であろう。
努力すれば報われる国、しかしやさしさを兼ね備えた人づくり、寛容(クレメンテイア)であり、どこかの国のように相手を認めない国にはなりたくない。そして願わくば、ノーブレス・オブリージュ (Noblesse oblige)、成功をおさめ尊敬を払われている人の義務が育つ国になって欲しい。これら人づくりは長い時間が必要だが日本にはまだマインドコントロールされていない健全な教育者、指導者が多くおいでだ。ありかたいことである。また教育基本法の改正も真剣に検討されている。期待したい。 権利・義務での「新しい人権」も必要だろう。

 使い捨て経済いずれは限界!!

 また、憲法など超越した深刻な問題は地球温暖化対策、化石燃料などの資源消費問題、それに経んだ水・耕地など含めた食料危機、砂漠化である。この難問題はいままでの人種宗教、南北問題などによる紛争とは違い全世界のあらゆるテーマの最優先であるが、これらを新憲法に取り入れることができないか、ぜひご検討賜りたい。


 わが国は循環型社会を作るモデルケースを政官学、企業が一丸となって世界に示さなければならない。そこからおのずからニュービズネスチャンス、大きな事業が生まれる。いま騒いでいる国連常任理事国入り「お願い・おじぎ外交」など中止、細かい事は言わないことだ。そのかわり日本は地球温暖化対策資金のため国連分担金はGDPの関係もあるが、戦勝国五力国の最下位の次にしたいと交渉しよう。ODEも環境改善、人道上のためのみに使いたいと協力を申し入れれば良い。


 さあ!再構築日本のためバッチをつけた主権者(政治家)、バッチをつけていない私たち主権者(一般国民)ともども汗を流そうではないか。
 そうだ!今年の旧盆(8月15日終戦記念日、自称「平和の日」)には久しぶりに兄貴のいる靖国神社へ参拝しよう。

                   (2005年6月)
 







  日本再構築は新しい憲法から! その3

                             高岸


【憲法改正へ自民・民主両党の提案が出そろう】

 さる10月28日、自民党新憲法起草委員会と総務会で、現行憲法を全面的に見直し、「自衛軍」の保持などを明記した条文形式の新憲法草案を決定した。とマスコミ各社が発表した。結党50年目、敗戦後60年、日本国の主権回復後50数年を経てやっとのことである。


 民主党も、31日に党憲法調査会(植野幸男会長)は総会を開き、改憲論議に向けた党内の基本的な見解「憲法提言」を了承した。九粂改正で党内の対立も見た。民主党の内情は、依然として複雑だ。
党をどう取りまとめるか、これからが正念場であろう。「今求められていることは、21世紀の新しい時代を迎えて、未来志向の憲法構想を勇気をもって打ち立てるということである」(11/1毎日新聞)と。5つの基本目標は理解できるが、自衛権などのあいまいさを残している。今後に期待したい。前稿その二でもふれたが各党の草案が出たのでもう一度ふれて見たい。

 「自然権である自衛権は憲法になくても行使できるのか」

 現憲法は占領軍支配下、日本人がまったく関与しないまま、作成された憲法です。当時の平和主義者として戦前、軍部に狙われた人物、幣原喜重郎首相が憲法草案を見せられ「九条」の戦争放棄粂項を見て『日本は自らを守れないのか』と驚愕したと言われています。
また、アメリカ政府でさえ「不戦条項は一国の主権を否定するもの」と疑問を呈しましたが、なんとマッカーサーは『憲法草案はGHOの作成したものではなく、日本人が作成した』とワシントンに虚偽報告をしています。それが平和を守る憲法として後生大事に墨守されつづけている規憲法です。ずいぷんとひどい話ではありませんか。
 (「目ざめよ、日本」サンラ出版より)。
 厳しい占領軍の監視下、昭和21年6月20日より始まった帝国議会、憲法改正案の審議で自由党の北浦圭太郎議員は勇気ある反対論を発表、次に、社会党の鈴木義男議員も『前文は、・・・と』。発表した。反対論も含め毎日の審議状況はそのまま全て英訳されて総司令部に届けられる。このような環境で自由な議論はありえなかったのが規憲法である。(「憲法はかくして作られた」日本政策センターより)


 まず日本人の存立そのものを否定したのが「第九条」の戦争放棄です。もちろん平和を求めることは、国としての大功な指針ですが、憲法で戦争放棄を明記するとなると話は別です。この条文を素直に読めば、国家としての基本権である自衛権さえ否定されていることになります。現憲法で、マスコミなどであまり騒がれていないもう一つの大問題は「第九八条」に記された最高法規の規定だと『目ざめよ、日本』で共著、前野徹・増田俊男両氏が述べています。


 最高法規は、第九七条の基本的人権と第九九粂の憲法尊重擁護の義務があるがどれも重要だが、とりわけ九八条の条文には第一条や第九条にこめられたマ元帥の真意をより確実な方針とするために大きな意図が隠されており、この条項の英文は割愛(英文のご希望者は事務局までお申込みください)  注;現在は会の解散のため存在せずしますが『対外条約』の項目に該当するものの中に、サンフランシスコ講和粂約や日米安保条約があるが、一般に吉田茂首相(当時)が日本の独立を回復するために結んだと受け取られています。伝えられた印象とは裏腹にこの講和粂約は日本が独立するための条約ではなく、日本が米国に従属するための条約であり日米安保は日本の安全保障を米国に全面的に依存する内容が骨子となっています。日本が自らを守ることなくして、なにが独立国でしょうかと。現在も基地と制海権や制空権が米軍の管理支配化にあることを肝に命じて貰いたい。


「米国の庇護下、アイデンティティがなく尊厳心を失った国になり下がるのか?それとも」 戦後長く占領軍が進駐し、その後おんぶに抱っこの日本は他所には目もくれず経済復興に邁進することが出来た。しかし諸外国からは内心、軽蔑・哀れみ・妬みを持った冷たい目で見られているが。
また残念ながらマルクス・レーニン主義かぶれの亡霊がそこらへんに漂い、一部知識階級にいまも残っている。いま護憲派と言われているインテリ達よ、きわめつきは人権派といわれているエセ・リペラリスト達よ、神のように敬っていた日本国憲法はメイドインGHQ民生局だ。
まさしく占領軍そのものだったということに早く気付いてもらいたい。戦後六〇年、憲法と教育基本法を押し付けられGHQの呪縛、東京裁判史観・自虐史観から脱却しようとしない日本の現実。完全にマインドコントロールされ平和ボケになった国民に喝をいれたい。

 [時代は新憲法へと動いている]

今回の両党の提案に対し真剣な前向きの議論を期待したい。前稿その二『これだけは新憲法にいれたい』で新憲法に対する熱い思いを
述べたが、筆者も識者、評論家に負けずいくつかをさらに補足したい。

  『補足五つの提案』

1、自衛権の行使を憲法で認め、明記する。行使の可否について不毛な憲法論議を避けるため。 尚、個別・集団的自衛権行使に当たる場合、国会の承認を得ることは当然である。
 * 現憲法を時の為政者がの都合のよい様に解釈、運用されては平和を願う国の基本戦略が根底から崩れる恐れが生ずる。「九条」一
項の精神は残すが、二項は廃止若しくは全面的に改正する。

2、防衛庁を国防省に格上げする。
 ① 海外緊急救助(援助)隊の設置およびテロ、海賊対策本部を設ける。
 ② 国内災害・治安対策隊の設置。国内の治安はあくまで警察庁の補佐とする。
 ③ 将兵の階級を旧呼称にする。
 
 * 細部について専門家ににお任せしたいが自衛隊員の士気高揚 が大切であることはいうまでもない。

3、衆参二院制の再考。参議院の定数は100名程にし、政党色をなくする。小さい政府の実現のため衆議院議員数350名ほどの削減は当然だ。また、道州制移行のため優秀な政治家、官僚は地方発展のため道州で活躍していただきたい。
 * 衆議院議員の権威および活動UPを図るため公認秘書の倍増、を最低6名以上に増員を願いたい。活力のある聞かれた国づくりに邁進していただくために

4、新憲法はまず言葉の再定義から。
 現憲法で使われている「自由」や「人権」などは概念自体は輸入ものだ。両党提案にある責任感、責務などは、いまの若者は責任感という言葉を知らないのではないかと思うような行動をとる。60年間も変えなかった憲法はまずは言葉の再定義から。と、「構想日本」代表加藤秀樹氏が読売新聞で述べています。全く同感だ。
5、地球規模での循環型社会作りは極東の日本から。
 * 前稿その二で述べたが地球の危機はイデオロギー抜きで真剣に取り組まなければならない。

 会員諸氏の活発なご意見を賜りたい。


                  (2005年11月)

 







 安倍首相は辞任の前にこれだけはやってほしかった!!

         高岸

 安倍政権の出だしは上々だった。.....戦後レジームからの脱却、美しい日本を掲げて颯爽と登場した戦後生まれの初めての安倍首相。
次々と重要法案を国会で成立させた。その中で、公共精神、愛国心を養う教育基本法改正案が2006年12月衆参院本会議で賛成多数で可決、成立した。残念だったのは自民・民主が一度は合意したが進行のミスなどでドタバダ劇を演じるおまけがついた。野党第一党の民主党などの反対理由は「やらせ質問」の解明などこじつけのところもあったが民主党の対案は愛国心や公共心の育成を掲げ、家庭教育の条文を設けていて政府案と本質な差はなくむしろ愛国心の表現は『民主党案が優れている』と評価する声が自民党内であったほどだ。と当時の有力各紙は報じていた。過去の日教組、旧文部省による歪んだ教育方針を正して欲しい。教育は米百俵ところが百年の時間がかかるといわれているが、中教審にさらなる期待を望みた


憲法改正国民投票法案は・・・日本国の背骨である憲法は戦後60年以上経った今日までまったくの手つかずであったが、憲法施行60年の本年5月、やっと成立しめでたく公布された。同法に基づき前国会から衆参両院に設置されるはずの憲法審査会が、認識の違いから『宙に浮いた』ままだ。その間、各合派合意の下、衆参両院に憲法調査会が設置され衆院会長に中山太郎氏が就任し、民主党の歴代会長代理仙谷由人、枝野幸男氏らの理解と協力を得て、党派の立場の違いを超えた、真摯で建設的な議論が行われた。が、参議選を控えた政治情勢に遮られ、結果的に与党単独での採決になってしまった。幸い、最終的に参院を通過する際は、自公民3党共同提案という付帯決議を付した上で採決された。(11/8読売新聞・小林節慶大教授、憲法審査会より)


 8月、衆参両院に憲法審査会が設置された。だが、与党との対決路線をとる民主党は、審査会の開催を拒否し続けている。党内にはいろいろの事情があろうが早く国会で憲法論議の再開を願うばかりだ。憲法はその国の背骨と上述したが「れじれたまんま」では、いつまでも『普通の国』になれないのではなかろうか。いままでの長い時間をかけて培った憲法調査特別委員会、中山委員長のもと各理事らの共有の認識はどうなったのか?と、たずねてみたい。
防衛庁の省への昇格と関連法案・・・も同時に承認された。真にめでたいことである。いま防衛省がゴルフや宴会で大騒ぎだが筆者が思うに別室で騒いでもらいたい。また大臣の資質を高め最低3年間くらい務めてほしい


『集団的自衛権の権利がある以上、すべての行使ができる』と.....ただし実行の時は国会で承認を得ることが必要だ。と安倍総理が在任中、自身の口からこの回答を国会で表明してから進退を決めて欲しかった。「集団的自衛権は持っているけど使えない」とする内閣法制局の解釈を批判するばかりでは埓(らち)が明かない。


 歴史に「もし」が許されるのであれば、歴代の総理の誰かが早く 「行使できる」と国会で表明していれば91早の湾岸戦争当時、外相中山太郎氏は自氏党幹事長小沢一郎氏とともに自衛隊による国際貢献の実現に奔走した16年前から新テロ特措法。横田めぐみさんの拉致から30年たった今も未解決。北朝鮮との国交回復は東アジアの安寧が日本の国益の最たるものであることは国民の大半が認識している。北方領土問題も長引いている。これらの難問題は現在と違った形で解決されていたのではなかろうか。ねじれにねじれている政局を見ていると「もし」の愚痴のひとつもこぼしたくなる。


ちなみに筆者はあくまでも政権の交代ができるニ大政党をのぞみ、構造改革の継続と国民本位の政治、霞ケ閣の抵抗を排し地方分権改革の断行、官僚内閣制に替わって議員内閣制を作動させ(飯尾潤政策研究大教授講演会より)主権を早く国民に取り戻そうと真剣に願っている一人である。在任期間が短く、また自失点安倍内閣でのいくっかの手痛い自失点は参院選での与野党逆転、ねじれ国会へと繋がるがいずれも難しい問題ではなかったような気がする。


                  (2007年12月)








  今、日本の再生にはやはり、憲法改正が必要だ

                       高岸

 戦後66年も経っても未だ、国家の非常事態に際し国民の生命を守るために必要な政府の責任や権限が、憲法には何一つ書かれていないし、それを改正し普通の国になろうと幾度か試みていたが、やっとその機会が3月11日にやってきた。


 本会報に幾度となく憲法改正を促した拙稿を寄稿したのでその主旨は省略するが、3月11日の東日本大震災に対する国の対処は紛れもなく、日本国として国家の態を成していないことが分かった。
 以下、WEDGE8月号OPINION中西輝政氏の寄稿文「平時の論理で有事に対処、日本は破綻の回路へ」のタイトルで、初めの部分で同氏の熱い思いを引用させていただいた。・・・・『日本のような先進国で自然災害とはいえ、一瞬にして死者・行方不明者が2万人以上に達したことは、明らかに国家の機能不全が大きく関係している。また福島第一原子力発電所の事故はいまだに国民の生命・健康への深刻な脅威を与えつづけており、その収束に責任を負うはずの日本という国家は政府の大失態によってなすすべもなく手をこまぬいている。


 ここには「戦後日本」という特殊な空間の中でも国家が成立しうる、と考えてきた国家構想の破綻が明らかになっているのではないか。国家としての戦後日本は、どうやら「最終的な破綻の回路」に入ってきたのではないか。この大震災が我マに突きっけているのは、このことだと私には思える。』・・なかにし・てるまさ 京都大学法学都卒同大教授 国家権力の行使に否定的な菅政権、と同氏は分析し、日本の外交、国防に憂い、大震災に際して、平時もあれば有事もあるのがこの世の掟であるにも関わらずあえて「その時」の構えを欠いたままにしてきたことだ。実は民主主義の根本機能の一つは有事において、法律に則って絶対的な強制権ではないが非常時の体制がとれるということだとも強調されておられます。


 今回の震災で決定的に国家が機能していないことの危うさが露呈した。何とかしなければならない。新体制にいくっかの緊急提案をしたい。
 1 震災復興に際し、各事務次官の助言と職員の東北3県への協力派遣
 2 ムダの廃止、官僚の天下りの禁止
 3 国分議員の定数の削減と一票の格差の是正
 4 国会議員の利権体質の改造と大衆迎合からの離脱政治

 憲法が変わらなければ何も動かない。今、与野党三光には憲法96粂(憲法改正手続き粂項)改正の賛成者が増えている。政治家やマスコミに対し私たちは声を上げるときが来ました



     2011年8月














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