歴史・郷土史 2


     ここでの更新は終了しました。 最新は 新船中発策Ⅱ をご覧ください。  https://hayame.coolblog.jp/

 項目

 

西郷・隠岐騒動

萩城下町 その1

萩城下町 その2

隠岐神社

黒木御所と由良比女神社

隠岐国分寺

的山大島 神浦 街並み保存地区

宗像大社

黒島  黒島天主堂

渡辺昇を訪ねて

五島 教会巡礼 その1

五島 教会巡礼 その2

五島 教会巡礼 その3

福江島 教会巡礼  その4

五島列島のカトリック教会 まとめ

有福教会と大平教会  若松島

牢屋の窄殉教記念教会と浜脇教会

横瀬浦  南蛮船渡来地

生口島一周、 中江の島、春日集落

五小路武家屋敷通り  大村藩

 

大村藩 勤皇37志士

 

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連12の世界遺産

外海の 大野教会、出津教会、黒崎教会

 

五島藩 武家屋敷

五島氏庭園隠殿屋敷・心字が池

薩摩 麓(ふもと)武家屋敷12  日本遺産 

南蛮船渡来の港

福田港

横瀬浦

口之津

 知覧と万世の特攻平和祈念館

薩摩藩英国留学生記念館

 

ヨットで航く  四国巡礼88か所   同航2人

徳島・阿波 神社めぐり


阿波国の式内社一覧

古代の阿波

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


   西郷・ 隠岐騒動

 

 隠岐諸島

 

 ヨットの航海において、隠岐諸島へは何か行く目的がないと、本土側を航行してそこをスル-されてしまう。 小生も何度かチャンスがあったが行けずしまいであった。

 今回の春巡航は、母港岡山に向かう新幹線の中で、九州へクル-ズする予定を急に変更して、何も下準備のないまま隠岐へ行くことを決めた。 その理由は九州一周をするプランのなか、その航程が長いのでレグを春と秋に分けることになる。春レグの終わりに天草のマリ-ナに、秋まで短期係留になることに不安を感じたからである。 そのことは、マリ-ナ係留中に台風シ-ズンにぶつかり、天草に本人が滞在しないで台風に対処するのは難しいかなと不安に思ったのが大きな変更の理由となった。

 それゆえ隠岐に行くことにした。また、ここでもよく維新のことを取り上げている。その中に長州などで結成された諸隊をアップしている。

  神機隊と芸州の諸隊

 諸隊について調べていると隠岐正義党のことを知り、ここでそれを取り上げた。 現地の隠岐を訪ねれば、もう少し何かわかるのではないかと考えてヨットで訪ねることにする。他にも海士町での先進的な漁業の取り組み、島留学と島移住の話とか興味をもった。

 

 本土の七類で隠岐に渡る風待ちをした。日和を見て隠岐へ航海する。 

  さて、西郷に着いた。観光案内所で隠岐騒動のことを尋ねる。 隠岐正義党に関しての資料は持っていないようだ。 観光案内所でもそのことに詳しくない。 自分で探すしかなく、レンタサイクルで市内を廻った。 現在のドラッグストアの近くに隠岐騒動勃発碑の石碑を見つけた。ここは松江範の陣屋跡でここに島民が囲んで明け渡しを求めた。

 日露戦争でのロシア人墓地をさがしているなかで、運動公園に報国記念碑があるのを見つける。 それは隠岐騒動で14名の同志や日清戦争までの戦死者祀っている。 この地は幕末の頃の練兵所があったところだ、騒動の時に島民3000人が集合した地である。 小生が騒動に関して見ることができたのは、この2つのみであった。

 

  自宅に帰って調べてみると、「隠岐騒動の史跡を訪ねて」というパンフレットを見つけた。これこそ現地で欲しかったものだ。 西郷で風待ちで8日余りも滞在したので、このパンフレットに載っている各地とその付近には行っている。 惜しいことをしたものだ。

 仙崎では「金子みすず」、隠岐は「ジオパ-ク」1本に染まっていて他のテ-マには目もくれない一辺倒の状況だ。観光政策も幅広さをもっと持ってほしいものだ。 ジオパ-クと言っても、ぶらタモリではあるまいし、地学好きの人がここへ集まるわけではないと思う。 観光案内所は知識が浅いことが多いようなので、やはり歴史的なことについては教育委員会で尋ねてみるべきだったと後になって思う次第である。

 隠岐クル-ズは少しの不満を残すことになった。急遽航海計画を変更した調査が不十分な計画にもその責任がある。 ホンダワラの絡みに苦しんでも、目的港以外の避難港が考えられていないので、難儀な航海をするハメになったも自分のせいである。。

 

 隠岐騒動 西郷         自宅に帰って見つけた資料

 

 隠岐騒動記念碑、  松江藩の陣屋があった



 記念碑説明板



 報国記念碑  同志14人が祀られている



  日露戦争 ロシア軍人戦没者墓地



 

     2022-8-12






        萩城下町 その1


  JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。

 

    参照  ぶらり はぎ散歩 地図   この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。

     これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。  

 

   松本川の右岸地区 松陰神社など



  松本川右岸地図  松陰神社など

 

  以下を自転車で見てきました。

 ① 松陰神社、松下村塾、吉田松陰旧宅

 ② 松浦松洞誕生地

 ③ 品川弥二郎誕生地

 ④ 吉田稔麿誕生地

 ⑤ 伊藤博文別邸

 ⑥ 玉木文之進旧宅

 ⑦ 東光寺

 ⑧ 山田顕義誕生地

 ⑨ 楫取素彦旧宅

 ⑩ 郡司鋳造所跡

 ⑪ 萩反射炉

 ⑫ 恵美須ケ鼻造船所跡

 ⑬ 吉田松陰誕生地

 

 ① 松陰神社、 ここに塾や旧宅がある

 

  ① 松下村塾 半世紀前に訪ねたがこの場所にあったのであろうか?



  ① 吉田松陰幽囚の旧宅、 旧杉家宅



  ② 松浦松洞誕生地、  松下村塾生、 松陰の絵を残す、 尊王攘夷志士の弾圧に抗議して切腹した

  



  ③ 品川弥二郎誕生地、 見逃して通り過ぎる、  松下村塾生、高杉晋作、木戸孝允、山田顕義らと維新に貢献、明治になり欧米に6年間留学

 

 

 ④ 吉田稔麿誕生地 池田屋事件で討ち死に、 松門4天王




  ⑤ 伊藤博文別邸  

 

 ⑥ 玉木文之進(たまきぶんのしん)旧宅、  松下村塾創立者、松陰の叔父、松陰と乃木希典を厳しく教育、前原一誠の乱で責任を取り自害。

 

  ⑦ 東光寺  毛利家の菩提寺

 

 

  ⑧ 山田顕義誕生地、 松下村塾生、大村益次郎から学ぶ、禁門の変で敗北、高杉晋作の功山寺挙兵に参加、戊辰戦争、西南戦争に活躍、司法大臣に就任し法典整備に尽くす、伯爵、 日大の学祖、



  ⑨ 楫取素彦旧宅



  ⑩ 郡司鋳造所跡、 幕末には大型大砲の鋳造


 

  ⑪ 萩反射炉, 試験炉であった模様、




  ⑫ 恵美須ケ鼻造船所跡、 1853年の大型船建造の解禁により、1856年に伊豆戸田村の棟梁が萩に派遣されここに造船所を建設、丙辰丸、庚申丸、


 

 

  造船所見取り図


  




  ⑫ 吉田松陰誕生の地









  萩焼の登り窯があちこちで見られる




     2022-8-18








        萩城下町 その2


 JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。


 参照   ぶらり はぎ散歩  地図    この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。


 これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。





 

 

  


 ① 御船蔵

 ② 旧山村家旧宅

 ③ 野山獄、 岩倉獄

 ④ 女台場

 ⑤ 繁沢家長屋門

 ⑥ 木戸孝允旧宅

 ⑦ 青木周弼旧宅地

 ⑧ 高杉晋作誕生地

 ⑨ 旧益田家物見櫓

 ⑩ 旧周布家長屋門

 ⑪ 北の総門

 ⑫ 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋

 ⑬ 口羽家住宅

 ⑭ 旧児玉家長屋門

 ⑮ 村田清風別宅跡

 ⑯ 久坂玄瑞誕生地

 ⑰ 旧田中別邸

 ⑱ 井上剣花坊誕生地

 ⑲ 渡辺萬蔵旧宅

 ⑳ 山形有朋誕生地

 ㉑ 旧湯川家屋敷

 ㉒ 桂太郎旧宅

 ㉓ 井上勝旧宅

 ㉔ 前原一誠旧宅

 ㉕ 堀内鍵曲

 

 

  街並み保存地区 浜崎

 

  浜崎保存地区 ① ②

 

 

 ① 御船蔵


 

 ②  旧山村家旧宅



 

 200石取りの岩倉が西隣の野山200石取へ酒に酔い切り込み殺傷事件を起こして、両家が取り潰しになりそれぞれ監獄となった。

 

 ③ 野山獄  士分のあるものの監獄となる。 吉田松陰がここに投ぜられた

 

  野山獄と岩倉獄   高須久子

  http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-415

 

 ③ 岩倉獄  庶民が入獄し待遇も悪かった、松陰と渡米に失敗して捕えられた金子重輔はここで獄死した




 ④ 女台場  海防のための土塁築造に武士の妻や奥女中が参加したので女台場とよばれる




  重要伝統的建造物保存地区  堀内地区  侍屋敷地区

 三の丸のほぼ全域で藩の上級武士が住んだ。 明治になり多くの人が東京に住んだという。 今でも地元の人は堀内の住所だと上流の人だと思われるという。 ⑬ ⑭ ⑩ ⑨ ⑪ ⑭ 


  堀内地区 三の丸




  同  武家屋敷区

 北の総門から堀之内を出て、菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁に囲まれた地域. 200石程度の中級武士の居住区

  ⑧ ⑦ ⑥ 

 

  武家屋敷地区



 ⑤ 繁沢家長屋門  1094石取りの藩の要職




  ⑥ 木戸孝允旧宅  



 ⑦ 青木周弼旧宅地  蘭学医、シ-ボルトに師事、高杉晋作が痘瘡にを治療


 

 ⑧  高杉晋作誕生地




 ⑨ 旧益田家物見櫓  須佐に領地を持つ永代家老、禁門の変で切腹





  ⑩ 旧周布家長屋門  永代家老益田家の庶流、1530石取り





 ⑪ 北の総門  3の丸(堀内)に入るための門、他に中の総門と平安古の総門とで城下町を分けた



 ⑫ 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋  萩城の南すぐちかくにある、厚狭毛利家の武家屋敷、8371石を領す、





  ⑬ 口羽家住宅  江戸藩邸の門を移築した、永代家老に次ぐ家柄





  ⑭ 旧児玉家長屋門  2243石取り、




 ⑮ 村田清風別宅跡  藩政改革を行い、その財力が維新への原動力となった


 


 

 ⑯ 久坂玄瑞誕生地  松陰に学び絶賛されたが禁門の変で死す




  ⑰ 旧田中別邸  26代総理の田中義一の別邸  





 ⑱ 井上剣花坊誕生地  明治3年に生まれ川柳で活躍




  ⑲ 渡辺萬蔵(わたなべこうぞう)旧宅  天野清三郎ともいい、松陰に学び、尊王攘夷の運動に加わアる、米英に留学して造船を学ぶ、  



  ⑳ 山形有朋誕生地



   ㉑  旧湯川家屋敷   藍場川が邸内に流れている、城下に行く水を管理していたという




  ㉒ 桂太郎旧宅  桂太郎が少年時代にここで過ごした、建物は明治42年に移築されたもの




  ㉓ 井上勝旧宅   長州ファイブとして英国に渡り、鉄道の父として活躍



  ㉔ 前原一誠旧宅  前原の表札があったが、見学できないようです。静かな佇まい




  ㉕  堀内鍵曲 (かいまがり)  侵入した敵を迷わせるもの

 

         2022-8-19





     隠岐神社




  菱浦と隠岐神社、   赤丸は菱浦ヨット係留地



  中の島の菱浦にヨットを係留した。 そこからフェリ-乗場にある観光案内所で自転車を借りて、隠岐神社に向かった。 フェリ-の到着時間に合わせてそこへ行くバスもある。 菱浦から諏訪湾沿いに海士町の役場を経由して隠岐神社に行くことができる。 所要時間は15-20分くらいでしょう。  

 隠岐神社は後鳥羽上皇を祀った神社である。 後鳥羽上皇が1221年(承久3年)執権北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れて隠岐に流された。NHKの大河ドラマで、もうすぐ承久の乱について放映されると思う。 御在所跡、御火葬塚、資料館を見た。




  隠岐神社 鳥居




  隠岐神社 拝殿

 

  後鳥羽上皇 御在所跡

 

 後鳥羽天皇御火葬塚、  1236年後鳥羽上皇が崩御され火葬

 

 ここの帰りに村上家と因屋城を訪ねた



  村上家と因屋城中の島

 

 後鳥羽上皇をお世話した村上家である。 資料館で案内の方に村上海賊とは関係があるのかどうかと尋ねた。 その関係した資料は見つからないと答えられた。 しかし村上海賊に関係した子孫の方はこの島にいるということです。 江戸時代であるか明治なのか定かではないが、全国長者番着けにこの村上家は載っている。かなりの有力者であったのでしょう。  というより、敷地から因屋城に行ける。 敷地の中に祖先が作った城跡の遺跡を持つ。 有力豪族であったのだろう。

 

 

 村上家・資料館

 

 戦国期には毛利に味方し1566年尼子についた丹後・但馬の海賊衆が攻めよせてきたが撃退した。




  因屋城の案内板





  本丸跡、(標高20m)  朝霞神社の祠




    2022-8-28






    黒木御所と由良比女神社    西の島



  黒木御所と由良比女神社 


 係留している中の島・菱浦から内航フェリ-・連絡船(200円)にのり西の島・別府へ行ってきた。 そこではレンタサイクルを借りて、黒木御所と浦郷の由良比女神社を訪ねる。

  黒木御所

 

  黒木御所は連絡船やフェリ-を降りてすぐ徒歩5分位でいくことができる。 黒木御所碧風館では20分程度の解説が聞くことができる。 ここから少し登って行くと黒木御所に至る。

 後醍醐天皇が元弘元年(1332年)に討幕の戦いで敗れ、後鳥羽上皇の先例に習い隠岐へ配流になり黒木御所に移された。約1年後に脱出して「建武の中興」となる。





  黒木御所案内板




 黒木御所碧風館、  展示と説明がある



  黒木御所跡



  由良比女神社



  別府から山越えの道を抜けると橋があり、その手前を降りてゆくと鶴丸ホテルへ出る。海の駅も併設されていてヨットが係留できる。

 

   隠岐シ-サイド・鶴丸ホテル、   海の駅桟橋   




  西ノ島大橋

 

 トンネルを抜けて西ノ島大橋(  )を通ると浦郷地区へ出る。 ここは観光船に乗ることができる。 由良地区へ行くと由良比女神社がある。平安時代は隠岐一の宮であった。 千夫里島からここに移築されたとかで、その時のイカにまつわる云われがある。神社の下の浜にイカの大群が押し寄せるようになり「イカ寄せの浜」と名付けられた。 イカ長者が何人も生まれたという。



  由良比女神社、 一の鳥居と本殿




   イカ寄せの浜


        2022-8-29








      隠岐国分寺

 

 島後 隠岐の島町、  国府尾城と後醍醐天皇行在所跡・隠岐国分寺

 レンタカ-を借りて島の東側を回った。 その時に隠岐国分寺に立ち寄る。

 奈良時代に日本各地建立された国分寺は現在でもその地名として残っているところが多い。本堂は明治と昭和に再建され焼失した、再建されている。 消失の後に発掘調査をされて旧本堂跡とされるところが発掘された。 近くに隠岐国分尼寺跡も見つかっている。


 

 隠岐国分寺  明治の廃仏毀釈で焼け、1950年再建しまた消失、 2014年本堂再建




  後醍醐天皇行在所跡、  黒木御所も後醍醐天皇行在所と言われるが判然としない





  山門



 国分寺の隣に牛突きの会場Oki Momo Dome がある。 ニュ-ス等でそれを知るのみで、実際には目にしたことはない。


  Oki Momo Dome





        2022-8-30






             的山大島  神浦 街並み保存地区


 

  平戸より大島行きのフェリ-に乗り神浦(こうのうら)に行く。 ここは離島にも拘わらずに古い町並み保存地区になっている。 フェリ-乗場の的山港は新しくできたものらしく、そこに役場はなく、神浦にそれは在る。

 フェリ-を降りるとすぐコミュニテイバス(100円)が待っている。これで往復の交通手段が確保されている。山間の急カ-ブの道を20分ほど走ると保存地区へ着く、 次の時間までの間に見学して、次のフェリ-で平戸に帰ることが出来る。

 今まで好きで訪ねた街並み保存地区は江戸時代にあった特産品の生産地であったり、交通の要になる場所が多かった。 この離島に保存地区があるのは江戸時代に栄えた捕鯨によるものであった。 当時の捕鯨の力は、後で見ることになった福江城は捕鯨による多額の寄付があってできた築城であり、生口島にも捕鯨の大きな組織が存在したことによりその力の大きさを知る。 江戸時代の捕鯨は大きな富を生み、各地に遺産を残したものであったようだ。

 

  神浦伝統的建造物群保存地区案内板

 


 街並み その1


 

 街並み その2



     2022-12-01






       宗像大社 

 

 


 3度目の宗像大島です。 今度はフェリ-にて神湊へ行き、 バスでJR東郷駅近くのス-パ-にて買い物をし、タクシーで宗像大社を訪ねた。


 宗像大社はさすがに大きな神社で参詣客も多い。 帰りはフェリ-の待ち時間が長く、近くを散策する。 リゾ-ト風のホテルが見られおしゃれな雰囲気があった。 海の見える景色はこのような建物が似合います。 結婚式にどうでしょうか?



 

 宗像大社

 

 

 エ-ゲ海にあるような リゾ-トホテル

 

 

 左の島は宗像大島

 

 

 ここの本宮は沖ノ島にあり、立ち入り禁止のようでヨットで凪のときに行ってみたい気がしていますが、どうでしょうか? 信仰の深くない人間が云ってもバチ当たりなだけかもしれません。 宗像大島には沖ノ島を望む遙拝所や中津宮があります。

 

 

 

 大島に帰るとボランテイアガイドの方がヨットに訪ねてくれて、龍馬が立ち寄った旅館跡を教えてもらう。 夕暮れだったがすぐそこを訪ねた。 その場所には案内板も無くパンフレットも無いので、教えられなければ気が付かないだろう。 考えてみればここ大島は長崎と下関の良い中継地であり、何度も龍馬は訪れたものと思われる。

 

  龍馬が泊まった旅館跡

 

  2022-12-2


    宗像大島
   http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-507









        黒島  黒島天主堂

 

  平戸―黒島



  平戸を出て、いよいよ五島列島の世界遺産の教会を訪ねる航海にでた。 黒島は佐世保市の行政区に属する。 佐世保市相浦―高島ー黒島に連絡船フェリ-が航行している。

 

 世界遺産は天主堂だけではなく集落も認定されている。 案内所にレンタサイクルがあるので、それで廻るとよい。 今回は徒歩20分ほどで天主堂に着いた。 信者が集まるのに便利なように島の中央部に建てられたという。この天主堂は1879年に建設され、1902年に建て替えられたものです。

 

 黒島天主堂

 この黒島は17世紀から平戸藩の牧場があった。19世紀初頭にそれが廃止される。その跡地の開発に外海地方から移住して7つの集落ができた。そのうちの6つが潜伏キリスタンの集落であった。

 

  教会内部

 

  集落は世界遺産の構成要素として認定されている。 しかし、他もそうだが、潜伏していた信徒は目立たない辺鄙なところに住んでいたので、これと言った場所をみつけるのは難しい。 ここは徒歩で行けるところに限って今回は見ることになった。

 

  本村集落

 本村(ほんむら)集落は移住前の最初に出来た集落である。ここの庄屋屋敷において潜伏キリシタンの取り締まりが行われたという。

 1865年の信徒発見の後、黒島から600人の信徒がいると分かった。

 

 

 

 

 

   黒島 ヨット泊地

 

 赤丸は実際の係留地、  青丸は候補

        泊地詳細へ

 

      2022-12-3






       渡辺昇を訪ねて


 渡辺昇 1838-1913


  来年(2023年)の春まで、大村港にヨットを越冬することになった。 その係留準備作業を終えて、自宅にかえるまでの数日に大村城周辺を友人から自転車を借りて散策した。 大村城五小路武家屋敷通りを見学。

 鞍馬天狗として描かれたのではないかと云われた渡辺昇について興味を持ち、地元に何かないかと尋ね歩いた。彼については下記のように取り上げている

   渡辺昇と大村藩

   http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-567

 

 渡辺昇について観光案内所では何も知らないようである。 図書館と歴史資料館の人に尋ねても詳しくはないようだ。 旧楠木正隆屋敷の前の案内板に渡辺昇と兄・清 兄弟の屋敷跡の図があった。 そこらあたり訪ねる。 しかし、地元の人に尋ねた、80歳になるおばあちゃんにも聞いたが、確かな記憶は無いようだ。 役所の作った案内板も存在せず。 明治になって昇・子爵と清・男爵になった兄弟であるが、維新の成就とともに東京に行って栄達し、地元への貢献が少なかったのであろう、地元では忘れられてしまったようだ。

 

 楠木正隆邸と渡辺昇邸  案内図

 

  上図にある渡辺昇・清邸跡と思われる交差点

 

 

 渡辺清の娘・石井筆子 (1861-1944)は女子教育や知的障碍者の施設の維持・発展に尽くし、ここ大村に銅像が立つ。オランダ、仏で2年間学び英語・仏語・蘭語が話せ鹿鳴館の華とも云われたという。


 

  石井筆子 銅像、  父や叔父さんのものは地元にはない

 

    2022-12-5

 






    上五島 教会巡礼  その1、   ヨットで訪ねる


  2018年春巡航と武漢風邪で休んで2022年の秋巡航の2回の五島列島周航で、そこにあるカトリック教会の多くを小生は訪ねることができた。最初はこのためにゴムボ-トを買っていたので、入り江の奥にある教会を訪ねるのにアンカ-を打ち、ヨットに積んであるボ-トを降ろして教会を訪ねたら何と素敵なことだと夢想していた。 終えてみて、日程や天候によりそれを行うことは出来ずに、キャビン内のゴムボ-トは箱に入ったまま使用されることは無く収納されている。 しかし、世界遺産である4つの教会はヨットを着けて尋ねることは出来た。  ヨットを港に着け、そこから、実際は、路線バス、レンタサイクル、徒歩、タクシ-、観光ツア-で他の五島の教会を訪れることになった。

 個別にヨットで訪ねることは出来なかったが、ここに教会の近くの泊地を少々述べています。 この後ヨットで行かれる人に参考になれば幸いです。

 小生は1年間だけイタリア人神父がいるカトリックの幼稚園に通いました。その後は信者でもない小生であるが、五島に29ある教会の20余を訪ねる。 五島の島にある教会だからこそ夢を感じて、行きたかったのだと思う。 今回の周航の終わりに、越冬のために大村に来て、そこに教会があったが全く行く気がしなかった。 今後も内地の教会には行くことは無いであろう。

 

  注) タクシ-料金の目安 :  観光案内所の紹介で1時間3500円程度でタクシ-に乗ることが出来る

 

  上五島(中通島など)の カトリック教会マップ A 

  巡礼その1-その3 分布図

 

 a . 新魚目の教会

 

  新魚目の教会群 B

 

 魚目漁港に停泊してタクシ-にて下記の教会、上図A 5-11を見る。 中通島の北端にある津和崎灯台まで行く、海峡を挟んだ北に接する野崎島と小値賀島を眺める。 そこから米山教会から岬を南に下って曽根教会まで7つの教会をタクシ-で廻った。

 地図B を見てお分かりのように、岬状の急な崖の地形がこの地区である。農業生産に使える土地は極めて少ない、魚だけ食べていたのであろうかとさえ思われる。 信仰を守る強い決意が無ければ生きていけない場所です。

 

 

 魚目漁港に停泊

 

 

 5. 米山教会・こめやま

 

  米山教会

 1903年創建、1977年改築。大村藩外海地区から移住した信徒による。 ヨットの最寄り港は津和崎港。

  米山教会 内部、  最後の晩餐を描いていると思われる

 

 

 6. 仲知教会・ちゅうち

 

 仲知教会

 1881年創建、1978年改築。ステンドグラスが美しく、立派である。 確認できなかったが、漁師の場面で住民が登場しているという。

  ヨットは西側に船溜まりがある。

 

  仲知教会 ステンドグラス

 

 

 7. 赤波江教会・あかばえ

  赤波江教会

 創建1884年 改築1971年。 ヨットは東側に突堤のみの船溜まりがあるが、凪のときしか利用できないと思われる。

 

 赤波江教会 内部

 

 

 8. 江袋教会・えぶくろ

 

 江袋教会

 明治になり解禁になるまで激しい弾圧を受けた。 1882年創建、2007年焼損、2010年復元。 実際にミサが行われている木造協会で最古のものであった。

 ヨットは西側に船溜まりがある。

 

 江袋教会 内部

 

 

 9. 小瀬良教会・こぜら

 

 小瀬良教会

 1951年創建、なかなかカトリックに復帰しなかった地区という。

 ヨットは東側に船溜まりがある。

 

 小瀬良教会 内部

 

 

 10. 大水教会・おおみず

 大水教会

  幹線道路を外れた山間にある教会。 迫害を受けずに済んだが、カトリックの復帰が遅れた。

  ヨットは小瀬良教会近くの船溜まりの利用となる。

 

 大水教会 内部

 

 

 11. 曽根教会・そね

 

 曽根教会

 1881年創建、1966年改築。  五島崩れの迫害の際に激しく弾圧された地区。

 ヨットは小生が停泊した東側の魚目漁港と西側の船溜まりが利用できる。 風雨のある時は魚目漁港になるでしょう。

 

 曽根教会 内部

 

       2022-12-8

 

 

 

     五島 教会巡礼  その2  南上五島

 

 

 奈良尾にヨットを係留して近くのカトリック教会をタクシ-にて訪れた。 1500からの暮れまでの3時間で8か所あまりの教会を訪ねた。

 

  奈良尾より南上五島の教会めぐり

 

 

 ㉙ 高井旅教会

 

  ヨットでの訪問は海水浴場の東側に突堤があり、そこへ係留するか、福見教会の下にある船溜まりの利用を考える。

 

 高井旅教会   1961年建立

 

 内部

 

 

 ㉙ 福見教会

 

 この地区は全員が信者である。 

小さい船溜まりがあり、短時間にはヨットが係留できると思われる。

 

  福見教会  1882年・治15年創建、1913年再建

 

 内部

 

 

 

 ㉗  浜串教会

 

  巻き網漁業の活発な地区であり漁港がある。 ヨットの係留にはそこが利用できる。 近くに航海と漁業の安全を祈る聖母像が海を臨んで立つ

 

 

 浜串教会  1899年創建、 1966年建立

 

 

 内部

 

  希望の聖母像

 

 

 

 ⑱ 真手ノ浦教会

 

 教会下に道土井湾の船溜まりがありヨットは停泊できると思われる。

 

 

 真手ノ浦教会   1910年創建   2010年改築

 

 内部

 

  

 

 ㉒ 若松大浦教会

 

  笛吹浦に船溜まりがありヨット停泊ができそうである。 ここのマリア像は信者によって彫られたもので、ふっくらとしたマリア様で有名である。

 

  若松大浦教会

 

 

  マリア像



  若松大浦教会 内部

 

 

 ㉖  桐教会

 

 教会の真下に入り江が有り、ヨットで行くことは可能である。 短時間のポンツ-ン利用は可能か?

 

  桐教会  1958年建立

 

 桐教会内部



 

 ㉕  土井ノ浦教会

 

 若松島の土井の浦港がありヨットで停泊ができる、

 

  土井ノ浦教会    1892年創建、 1918年旧大曾教会移築、  1998年改築

 

 

 土井ノ浦教会 内部   

 

 

           2022-12-19

 

 

 

 

      上五島 教会巡礼  その3

 

 福江から長崎の野母への航路を予定していた。40マイルほどの横断距離になるので日頃を選んでいきたいところだ。 予定を変更して奈良尾に向けた。前回に教会巡礼を行っているので。それを補うべき再度タクシ-にて見に行った。

 

 

  青線は今回訪ねた教会

 

 

 ⑯ 猪ノ浦教会

 明治中期より猪ノ浦に住み始めた、最初は大曾教会に参詣していた。現在は真手ノ浦教区に属している。

 

 猪ノ浦教会   大正初期創建、 1989改修

 

 

  内部

 

 

 ⑰ 焼崎教会

 初めは若松町桐教会に属していたが、1975(S50)年2月9日真手ノ浦教会に神父が配属されてから真手ノ浦小教区に属し今日に至っている。

 

 焼崎教会   1960年 築

 

 内部

 

 

 ⑮ 跡次教会

 1879(明治12)年移住して大曽教会に属していたが交通不便な為1907年
青方小学校の古い校舎の一部を払下げを受けて教会を設立した。老巧したため
1984(昭和59)年12月、現在地に新設した。

 跡次教会

 

 

  内部

 

 ③ 大曾教会

 大曾教会は武漢ウイルスの関係で内部はみられないようです。 予約をするか尋ねたほうがよいでしょう。

 明治12年創建、 1916年竣工、鉄川与助が設計施工。

 

 大曾教会

 

 内部

 

 

 ⑭ 青方教会

  鍵がかかっており内部は見るなかった。 予約が必要か?  上五島地区のセンタ―的な役割を持つ。

 

 青方教会  2000年建立

 

 

 内部

 

 

 ⑬ 冷水教会

 五島崩れの迫害で戻る人はういなかった。。 現在住む人は迫害後に移住してきた人という。

 

 冷水教会   1907年建造,鉄川与助設計施行

 

 内部

 

 

 ② 青砂ケ浦教会

 

 国の重文になっているのに、世界遺産に取り上げられなかったのは、教会内の駐車場が選定委員に気に入らなかったみたいだという、つまらない理由とか聞いています。 ここは2018年に路線バスで訪ねました。コロナの影響で施錠されて中をみられないそうです。 予約をすればみられるのかもしれません。

 

 青砂ケ浦教会

 

   五嶋みどり  青砂ヶ浦教会コンサ-ト  バッハ  無伴奏ヴァイオリン パルテイータとソナタ 

     https://www.youtube.com/watch?v=UDRoO9DzXNg     40分

 

 内部

 




 ⑳  丸尾教会

 1978年小教区として独立

 

 丸尾教会  1899年 創建、 1928年 再建

 

 

   内部

 

 

 

 ⑲  佐野原教会

 

 海に面しない山尾の教会である。

 

 佐野原教会  1963年築

 

 

  内部

 

 

 ⑳ 船隠教会

 

 船隠信者は明治初年、外海より移住したものである。
1927(s2)年神浦郷の住宅を買い受け11月教会堂を設立、当時は
桐(若松町)の巡回教会で主日・祭日のミサを始め、教会に関する
用事はすべて桐教会まで行かなければならなかった。
 1931(S6)年鯛ノ浦の巡回教会となる。

 

 船隠教会  1956年新築  1974年改築

 

 

 内部

 

 ④ 鯛ノ浦教会

 

 今回は道路側からのチョイ見で終わった。2018年の巡航の際に有川よりレンタサイクルでここを訪ねている。 ここの神父さんはこの地区の小教区の面倒をみている。

 

  旧鯛ノ浦教会  1903年創建、

 

 旧鯛ノ浦教会内部

 

 

 (新) 鯛ノ浦教会  1979年 新築

 

 内部

 

 

           2022-12-23

 

 


 

 

      五島列島のカトリック教会 まとめ

 五島列島にはカトリック教会が50か所余り存在する。 信仰を隠して住んだがゆえに、実りの少ない辺鄙の場所にそれはある。 それゆえに獣道を行くようなところがあり陸路からゆくのに難儀なところがあるという。 ツア-でも観光バスだけでなく海上タクシ-を利用するものもある。その全部を1週間程度の日数を費やしての巡礼ツア-もあると聞いている。 信者でもない観光客にはその参加も難しいかもしれません。

 小生はヨットで海辺の崖上にある教会をその下にある小弯に錨泊してゴムボ-トで訪ねることが出来たらおもしろいと夢想して、ボ-トを購入して4年前に五島を訪ねた。有川にて5日程時化のために滞留したので路線バス、レンタサイクル、ツア-にて廻るハメになった。 コロナの中断をはさんで昨年2022年に再度トライを試みた。 世界遺産の4つの教会はヨットで訪れることが出来た。他はタクシーで廻ることになってしまった。4年かけて37の教会を訪れることが出来た。 先が見えてる年ゆえにこれで満足するとしよう。 世界遺産の12の場所は今年の3月より、原城と崎津教会は訪ねるつもりでいます。

 五島の教会は極めて少人数の信者にて管理されているところもある。 全ての教会は清潔でキチンと整理されている。 欧州で見た村の教会は小さいものでもステンドグラスがきれいでパイプオルガンが置かれていた。 明治になり信仰を回復した五島の貧しい信者には豪華な教会を作るのは無理な話です。 ステンドガラスのきれいな教会も少数ありますが、訪れてみると、簡素な教会でも落ち着いた気分浸ることができます。 信者でないのでその一端を味わうことができれば訪れた甲斐があったということでしょう。

 

 上五島にカトリック教会は30,下五島に20合わせて教会の総数は50箇所になる。 下記の青字は訪問済み。

 A. 上五島にある教会、  中通島、 小値賀島、 野崎島、 頭が島など



 ① 頭ヶ島天主堂 (世界遺産
 ② 青砂ヶ浦天主堂 
 ③ 大曽教会
 ④ 米山教会
 ⑤ 小瀬良教会
 ⑥ 冷水教会
 ⑦ 中知・仲知教会
 ⑧ 大水教会
 ⑨ 青方教会
 ⑩ 赤波江教会
 ⑪ 曽根教会
 ⑫ 跡次教会
 ⑬ 江袋教会
 ⑭ 丸尾教会
 ⑮ 猪ノ浦教会
 ⑯ 焼崎教会
 ⑰ 中ノ浦教会
 ⑱ 桐教会
 ⑲ 真手ノ浦教会
 ⑳ 若松大浦教会
 ㉑ 浜串教会
 ㉒ 佐野原教会

㉓ 大平教会

  おおびら 1892年創建、1958年建立

 ㉔ 船隠教会

㉕ 有福教会 ありふく

   1927年建立  信者30人

 ㉖ 鯛ノ浦教会
 ㉗ 土井ノ浦教会
 ㉘ 高井旅教会
 ㉙ 福見教会
 ㉚ 小値賀教会堂(小値賀島)

 上五島教会巡礼  その1

 上五島教会巡礼  その2

 上五島教会巡礼  その3

 

 

    ㉕ 有福教会 と ㉓ 大平教会  若松島

          ヨットで訪れる方のための参考として

 

  上五島(中通島と若松島)にある30の教会の内28ヶ所を訪ねることができましたが、若松島にある有福教会と大平教会は行くことができませんでした。 カトリック土井の浦教会にはタクシ-にて訪れました。 運転手の方によるとそのどちらも獣道を走るようで時間がかかるということでした。そこへの訪問を除外することになりました。 当初の計画ではヨットで出来る限りではあるが訪ねたいということでしたので、それなら、どちらも海沿いにある教会ゆえに船溜まりを利用していくことができたでしょう。

 

 有福教会と大平教会の位置

 

 

 有福教会   1927年建立  信者30人

 

  有福  ヨット泊地   青丸は候補地

 

 

 大平教会   おおびら 1892年創建、1958年建立

 

 大平教会  ヨット泊地  青丸は候補地

 

     2023-1-5

 


  B. 下五島にある教会、  福江島、久賀島、奈留島、椛島など

 

 ① 福江教会
② 浦頭教会
 ③ 堂崎教会
④ 宮原教会
⑤ 半泊教会
 ⑥ 水ノ浦教会
⑦ 楠原教会
⑧ 打折教会
 ⑨ 三井楽教会
⑩ 貝津教会
 ⑪ 玉之浦教会
 ⑫ 井持浦教会
⑬ 嵯峨島教会(嵯峨島)
 ⑭ 江上天主堂(奈留島) 世界遺産
⑮奈留教会(奈留島)
 ⑯ 五輪教会(久賀島) 世界遺産
 ⑰ 旧五輪教会堂(久賀島)
⑱ 浜脇教会(久賀島)
⑲ 牢屋の窄殉教記念教会(久賀島)
⑳ 旧繁敷教会


 下五島にある教会は全部で20

 

  下五島 福江島 教会巡礼   その4

  世界遺産のヨット泊地


 

    ⑲ 牢屋の窄殉教記念堂 と  浜脇教会  久賀島

 

 今回の五島教会巡行で、計画していて、ひとつだけ気がかりで行けない所があった。 それは牢屋の窄殉教記念堂である。 4年前に五島に来た時には有川からのツアーで旧五輪教会に海上タクシーで訪れた。  その時に牢屋の窄殉教記念堂の逸話をガイドさんから聞いた。 その話はまさに五島のアウシュビッツという話であった。1坪に17人の信者が押し込められ、身動きもままならない状態で弾圧されていた。それも維新の功業がなった後の話だ。 次回にチャンスがあれば是非とも訪れたいと思っていた。

 久賀島の久賀湾は北側よりお椀のように奥まってる。航空写真を見てみると折紙神社あたりに小さな船溜まりが有り、そこにヨットを着けて牢屋の窄教会を訪れようとする。 その前日は奈良尾に停泊していた。 ニューペックでそこらあたりの水深を調べてみると、せいぜい2m位なので乗揚げが心配になりヨットで訪れるのは断念した。 当日は同島にある旧五輪教会をヨットで奈良尾より訪ねることができた。そして、同日に奈留島の江上天主堂も訪ねて、久賀島の北岸を回って一周する形で福江港に係留した。

 

 久賀島、  牢屋窄殉教記念堂、浜脇教会、 五輪教会・世界遺産

 

 福江島は友人にドライブにて案内してもらった。

 小生は牢屋の窄教会へ訪れるのをヨットでは諦めたのでフェリ-にて久賀島田ノ浦へ行くことに決めた。 田ノ浦港に着いてから徒歩でそこへ行くのは困難であるので、タクシーを予約する電話をかけた。 明日明後日は満杯で予約ができず、また断念することになった。

 クルーズを終えて自宅に帰ってから、YouTubeで孤島を訪ねる番組を見て知ったのですが、 福江でレンタバイクを借りて奥浦から連絡船に乗り、田ノ浦に着き、バイクで牢屋の窄教会へ行く方法があると。 これなら旧五輪教会もそこもバイクで行けるのだ。 ツアーでないと久賀島へはなかなか行けない。 ヨットでは牢屋の窄教会へは、ゴムボ-トやテンダーに頼れば可能だと思われる。

 

 

  牢屋の窄殉教記念堂

 

    牢屋の窄殉教記念堂  200人が8か月押し込められる

 

 

  浜脇教会

 

 

  久賀島西岸を南下。 左に浜脇教会をヨットより望む

 

   浜脇教会   1931年築   ここの旧協会堂は五輪に移築された

 

      2023-1-6

 

 


 

    下五島 福江島  教会巡礼

 

  友人のFさんが車で福江島を案内していただきました。 12ある教会の一部を見ることができました。

 

 

 

 

  赤線は訪問した教会、  下記赤字と小さい写真の教会はは未訪問

 

 

 1.  福江教会

 福江市内にある教会。信徒の数が多い。

  福江教会

 

 内部

 

 

 

2. 浦頭教会

 

 浦頭教会  1888年創建、1968年増改築

 

 

 3. 堂崎教会

 

 堂崎教会  1904年建立

 

 

 現在は資料館

 

 

4. 宮原教会

 宮原教会  1971年築

 

5. 半泊教会

 半泊教会  1922年築

 

 

 6. 水ノ浦教会

 

 水ノ浦教会

 

 

 内部

 

7. 楠原教会

 

 楠原教会  1912年築

 

8. 打折教会

 

 打折教会  1935年築 1735年移改築

 

 9. 三井楽教会・みいらく

 

 三井楽教会  この壁画は独特ですね



 



 

 10. 貝津教会

 

 貝津教会  1924年創建 1962年改築

 

 11. 井持教会

 

 井持浦教会はフランスのルルドを模倣した日本初の聖地で多くの巡礼者が訪れます。毎年5月になると下五島全域から信徒が集まり聖母マリアを称えるルルド祭が行われます。

 ルルドとはフランスにあるカトリック巡礼の聖地で、そこには様々な難病を治すと言われる「奇跡の泉」がありました。その奇跡にあやかってに奇跡の泉を模して作られました。日本で最初に作られたのが「井持浦教会」です。

 

 井持教会

 

 

 

 内部

 

 

 12. 玉之浦教会

 

 

 

 内部

 

   2022-12-30

 

 

 

 

 

 

            生口島一周、 中江の島、春日集落

 

   平戸から生口島




 生月島 観光図

 

 

 平戸へ来るのは3回目になります。 前回は路線バスで生口島に行っています。  念願のオラショを見て来ました。 今度は観光案内所の企画の生口島観光ツアーに参加しました。土日祭のみの決行で1人でも行われます。 当日はマイクロバスにガイドさん独り占めで2000円でした。採算割れでしょうが、何でもガイドさんに質問もでき最高のツアーとなりました。

  平戸から生口大橋を渡り、沖にある中江ノ島を望む。東岸を行くと、文政年間には日本一の捕鯨量を誇っていた捕鯨納屋跡がある。 北端の大バエ灯台で対馬が見えるというが、あいにく望めなかった。 西岸を南下して塩俵の断崖を見る。 玄武岩で出来た柱状の岩である。 西岸は人家がほとんどなく季節風の関係であろうか。  また、大橋を抜け春日集落へ向かう。 世界遺産の集落であるが、今でも現役の段々畑が見られる。



 

 中江の島  世界遺産




  大バエ灯台






 塩俵断崖  御崎柱状節理 






  春日集落と安満岳  世界遺産



     2022-12-20


 

        

 

 

 横瀬浦  南蛮船渡来の地



 横瀬浦

 

五島の奈良尾より横瀬浦にヨットで寄港する。
 ここで潮待をし、西海橋を抜け大村に向かった。

 平戸で貿易をしていたポルトガル人が平戸で暴動が発生したのでそこでの貿易を拒絶した。大村純忠と交渉して、ここ横瀬浦での対日貿易を再開することになった。

 銅像が建っているルイス・フロイスはここに上陸して布教活動をした。 大村純忠はこの地で入信しキリシタン大名になる。 その後、横瀬浦は大村の家争いで後藤貴明により、ここは焼き討ちにあう。 ここより長崎に貿易港は移ることになった。 

 

 

 南蛮船渡来地 石碑

  



  ルイス・フロイス像  「日本史」を著作






   横瀬浦   ヨット泊地

 

 佐世保と連絡船が行き来しており、横波をたてるので動揺が大きい。 フェンダ-を十分に用意すること。

 岸壁に階段が2か所ほどあり、そこへ停泊をした。

 


  赤丸は停泊地、 青丸は候補地

 

  階段付近に係留、      奥には連絡船桟橋がある  

 

 

        2022-12-11

 

 

 

 

      大村藩 五小路武家屋敷通り   


 大村氏は、古代平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を名乗ってから、中世の戦国時代、江戸時代から幕末、明治維新にいたるまで絶えることなく大村地方を治めてきた、非常にまれな大名という。

 大村城・玖島城が築かれると、その周辺に新たな町が整備され、藩主の側近など家臣が移ってきました。こうして、玖島城下に武家屋敷街ができました。武家屋敷街は城を中心に5つの通りが作られ「五(ご)小路(こうじ)」と呼びました。 [本小路][上小路][小姓小路][草場小路][外浦小路]の五つです。


 二万七千石の余り大きな藩でないので、徒歩で城下町の風情を味わうことができる。

 

 下記写真の概ね位置図

 

    大村藩     武家屋敷 詳細分布図

 

 

 1. 草場小路

 岩永家や長与家など五家があった、円融寺もあり。

 

 

 

 円融寺  庭園

 

 

 

 円融寺には大村37志士の墓がある

 

 

 

 2. 上小路・うわこうじ

 針尾家や浅田家などの家老屋敷も多く重臣の屋敷が多かったようです。幕末には、斎藤歓之助が開いた剣術道場「微神堂(びしんどう)」もあった。

 

 

 

 斎藤道場跡

 

 

 上小路

 

 

 3. 本小路

 大村藩会所・五教館・上級家臣の屋敷が並び、大村五郎兵衛・大村翁助など、幕末には14戸の屋敷があった。

 

 

 

 五教館御成門

 

 

 稲田家 家老屋敷跡    愛宕山東側にある  今は人は住んでいない模様

 

 

 4. 小姓小路・こしょうこうじ

 小姓衆が住んだ通りであることから小姓小路と名付けられました。後には、小姓衆だけでなく、他の家臣も住んでいた。

 

 小姓小路 案内板

 

 

  小姓小路

 

 

 中尾元締役旧宅   伊能忠敬の測量助手を務めたという

 

 5. 外浦小路・ほかうらこうじ

 大正時代に師範学校が建設された際に、通りの大部分が消滅し、通り自体がわかりにくくなっています。現在では大村園芸高校が建っている。

 

 外浦小路 石碑

 

 

 港内の垣根の奥に石垣が見えるが、屋敷跡の名残か?

 

    2022-12-27

 

 

 

         大村藩 勤皇37志士

 

 大村氏は秀吉の九州征伐に味方し、関ケ原では東軍につき本領を安堵され、この地に幕末まで続いた稀有な藩である。 しかし、その領国は狭く2万8千石余りの小藩であった。(実際の石高は5万石余りあったという) それでも大きくはない。

 また、キリシタン大名として南蛮貿易で富を得ていた時がある。 平戸から交易地が自領の横瀬浦と長崎へ変遷する中で益をなしてきた。長崎を教会領へ献上までしている。徳川になり南蛮貿易の益は消え、長崎警護の役回りをこなしてきた。 外国と接する立場にあったゆえに、大村藩は幕末には小藩ながら近代的な武装を整えつつあった。

 幕末の藩論のゆくえはその後の藩の命を決めた。 大藩である福岡藩においては、佐幕派が勝利し多くの勤皇の志士を殺してしまった。ゆえに福岡藩は人材が枯渇して維新には参加せずに終わった。  大村藩も同様に佐幕と勤皇が戦った。 その中で大村騒動・(上)小路騒動という勤皇派の暗殺事件が起きる。家老の針尾九左衛門が襲われて重傷を負い、松林飯山が殺された。 事件が追及され、その犯人の2人の家老と20数名が殺された。 これで大村藩の藩論は討幕に一変し、渡辺昇(わたなべのぼり)が坂本龍馬に頼まれ薩長州同盟締結に貢献した。

 戊辰戦争では官軍の先頭に立って戦い活躍する。 それで、維新後の明治2年に賞典として自国の石以上の3万石を賜った。 薩長10万石、土佐4万石に次ぐもので佐賀よりも多いものであった。 わずかな兵しか持たない小藩にしては立派なものである。

 

  松林飯山 遭難の碑  上小路

 

 


  右から亡くなった順に並んでいる。 中級家臣で13石から406石の家老針尾氏まで記されている

 

 中心メンバー

 

 松林飯山 1839-1867

 

 渡辺昇 子爵


 渡辺清  男爵



 長岡治三郎   物理学者・長岡半太郎の父



 楠本正降 1938-1902、男爵、 県令や衆議院議長を務める

   旧楠本正隆屋敷跡

 旧楠木邸を見てきた。上小路の近くにある。 60石の大村藩の中堅武士の屋敷の状態がよくわかる。

 

  楠木邸 玄関 、 200円

 

 母屋

 

 庭

 

 

       2023-1-3

 

 

 

 


      長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連12の世界遺産


 2018年春より2022年秋、さらに2023年春にかけて下記地図の潜伏キリシタン世界遺産の12か所をヨットで訪問する。 その場所へヨットで停泊して行くことを望みましたが、徒歩、自転車、路線バス、観光バス、タクシ-。友人の自動車などで行くことができました。 なるべく次の方がヨットで行けるような参考情報も書いてあるつもりです。 ご参考になれば幸いです。

  世界遺産のヨット泊地 五島

   






 ①  原城跡   2023年春 

 

 ②  春日集落と安満岳 (やすまんだけ)

 

  豊かな水源に恵まれ枯れることはない。 現役の棚田が広がる。

  

  安満岳、春日集落・棚田   神、仏、キリシタンの三位が存在する安満岳は平戸島の聖地。

 

 

 ③  中江ノ島

 

 聖水をこの島で採取する祭礼がある。 上陸はできない、眺めるだけである。

 中江ノ島

 

 ④  天草の崎津集落  崎津教会   2023年春 

 

 ⑤  外海の出津集落  出津教会

 

  出津教会  内部には活気が感じられ信者の多い現役の教会と感じられた。

 

⑥  外海の大野集落  大野教会堂

 

  大野教会堂、  外から眺めるだけである。

 

 

 ⑦  黒島の集落  黒島天主堂

 

 集落を見るには観光案内所でr自転車をレンタルするとよい。 ここのじゃがいもはおいしいという。

 

  黒島天主堂

 

 

 ⑧  野崎島の集落跡  旧野首教会

 無人島である。東側の野崎港へは小値賀島から連絡船がある。 近くには集落跡がみられる。 少し山道を登っていくと旧野首教会に着く。西側の野首港が近いが、ここは凪の時のみの利用となる。

 

  旧野首教会

 

 

 ⑨  頭ヶ島の集落  頭ヶ島天主堂

 入城制限をしている。 ヨットの訪問は可能である。 アンカ-を打ち槍付けになりそう。

 

  頭ケ島天主堂

 

 

 ⑩  久賀島の集落  旧五輪教会

 陸上から行くことは難しいという。

 


  旧五輪教会

 

 ⑪  奈留島の江上集落  江上天主堂

 樹に埋もれているように見えるので海からは近寄らなければ見えにくい。 予約をしておかないと、内部は見られないかもしれない。

 

  江上天主堂

 

⑫  大浦天主堂

 

  大浦天主堂






    2022-12-13






        外海の大野教会、出津教会、黒崎教会


  大村に来春までヨットを係留させてもらう。 お世話になっている梅さんに出津に車で案内してもらいました。外海の教会にはヨットの適当な停泊地が見当たらず、来春の訪問は無理のようなので、助かりました。 世界遺産の2つをこれでクリアーしたことになります。 後は原城と天草の崎津教会を訪れれば、念願の世界遺産をヨットで訪問は達成できます。



   外海の教会地図

 

 

 

  大野教会 世界遺産



  出津教会の巡回教会である。1893年・明治26年 起工、2004年解体修理。

 内部は見学できない、外部から少しうかがうことができる。


  大野集落




  大野教会  世界遺産  国重文  



     出津教会  世界遺産


 1882年ド・ロ神父により設計・建設された。1909年に現在の姿になる。

 事前予約が必要であるが、急に訪ねたが問題はなかった。教会堂の横に駐車することができた。



  出津教会  国重文   入館料400円

 

 内部 

 さすがに多くのミサ関係の本が座席の前に用意されている。 信者の数が五島の教会と比べて多いのかと思われた。

 

  出津の集落

 

 

        黒崎教会


 ここは世界遺産に入っていないが、オススメの教会である。遠藤周作の映画「沈黙」は見ているが、ここが舞台となったと云われるが、詳細は分からず。 1897年造成、1920年完成。


 

  黒崎教会 





  内部   リブ天井とステンドグラスが美しい

 

  2022-12-28






      五島藩 武家屋敷




 

  武家屋敷通り地図





  武家屋敷通り



  福江城・石田城は幕末に築城された。その南西側近くに武家屋敷が残っていいる。中級武士30-40石の屋敷跡だと云われる。 屋敷を囲む石垣塀は特徴的で「こぼれ石」と呼ばれている。 石垣の上部に下写真のように小さい丸石が50cm程かまぼこ型に積み上げられている。屋敷侵入者がこの石をこぼして音がするの役に立つと言われている。全国に数例しかないものであるという。

 


  ふるさと館

  こ通りの一角にふるさと館があり武家屋敷の内部が公開されている。 

 

  ふるさと館 庭縁側




      2022-12-31





    五島氏庭園隠殿屋敷・心字が池

 

 五島氏庭園 地図

 

  福江城の蹴出門を入ってすぐ左側に五島氏庭園隠殿屋敷の門がある。 そこはの二丸にあり30代の五島盛成公が1861年に隠居所として建てた。入場料は大人800円です。 そこへ入ると、意外なお迎えのセレモニ-に驚かされ、 また、ガイドさんが30分ほどの丁寧な案内説明があるので、代金は高いと思われるが、考えようではある。 



  

  庭園入り口



 内部1

  様々の障子が工夫を凝らされている。  




  内部2  




   本丸へ続く埋門



 京都の僧・全正によって造られた庭園は金閣寺の丸池を模したもので、風情があります。庭石と築山には福江島のシンボルである鬼岳の溶岩が用いられ、ビロウやソテツなどの亜熱帯植物があしらわれているのは五島ならでは。池畔には樹齢800年以上のクスノキが立ち、「心」の文字をかたどった心字が池には、亀が好きだった盛成公らしく、いたるところに亀に似た石が据えられています。




   



  心字が池  

 


  抜け穴 



      2023-1-18

 

 

 

 





        薩摩 麓(ふもと)武家屋敷 12      日本遺産

 


 麓武家屋敷 12か所の図

 

  薩摩には鹿児島城を本城として、藩内各地に外城(とじょう)を配置しそれは120もあったという。 秀吉に屈服するまでの島津氏は、九州を平定するほどの勢いであったので武士を多く抱えていた。 そのことにより領地は削減されたが武士の数は減らさなかった。それゆえ人口の1/4が武士であったという。

 独自の外城制度で各地の山城周辺に麓(ふもと)武家屋敷をつくり武士を住まわせた。 仮屋(かりや)と呼ばれる役所を置き周辺に馬場と呼ばれる何本かの道により町割りされ武家屋敷が配置された。 鹿児島各地にそれを見ることができる。

 ヨットで鹿児島を訪れた時にこれを知ることになった。 長崎の世界遺産を見た後は、新たに目標ができ、日本遺産に指定された12か所を訪ねることになる。 詳細は後日に報告いたします。


 1. 鹿児島城

 2. 喜入旧麓

 3. 出水麓

 4. 入来麓

 5. 里麓

 6. 手打麓

 7. 串木野麓

 8. 蒲生麓

 9. 知覧麓

 10. 加世田麓

 11. 垂水麓

 12. 志布志麓

 

                 2023-6-29







       南蛮船渡来の港

 

 

 

 九州一周を終えた今、図らずも南蛮船渡来の地、平戸、横瀬浦、福田、長崎、口之津をヨットで訪ねることができた。ここに報告いたします。


 1543年に倭寇でもある王直の船が種子島に漂着する。その時に鉄砲が伝来して、ポルトガル人も乗船していた。 1549年ザビエルは薩摩の坊津に上陸した。 1550年平戸、山口、豊後に行きキリスト教の布教を始めた。 平戸と豊後で南蛮貿易は始まった。 大名間の争いや仏教徒とのいざこざで平戸から横瀬浦、福田、1570年に長崎へと貿易港が移って行った。


  1.平戸

  2.横瀬浦

 

  横瀬浦石碑

 

  3. 福田

  佐世保から長崎の野母をめざしたが、手前の長崎サンセットマリーナに舫うことになった。 知識が及ばなかったが、ここは南蛮船の貿易港の地であった。

  長崎と福田港

 ここは大村藩の領地です。 平戸で松浦氏とポルトガル人は不仲になり大村藩の横瀬浦に移りました。しかし、そこは反大村住定純忠派により襲われ1年ほどで役目を終えた。 ここ福田に来航するようになった(1565-1570)。 しかし下記地図により分かるように西側は東シナ海に開けており満足な良港とはいかなかった。 それで長崎(1570)に移ることになる。

 

 

 福田浦と福田城、丸木館

 

 

  雁木らしきものが見かけられる

 

  4. 長崎

  5. 口之津

  口之津 石碑 

 

  6. 徳淵津

   1587年秀吉は九州平定において八代に陣を築き、南蛮貿易の港・徳淵津の賑わいを確かめた。小西行長を領主に任命した。行長は麦島城を築城し、ここには14の教会が建ち多くのキリシタンの住む街となった。

 

 

 

 

 


       2023-6-30

 

 


    知覧と万世の特攻平和祈念館

 ヨットで枕崎に停泊した。天候待ちの数日の間に、バスにて加世田と知覧にある特攻平和祈念館を訪れた。 漢字変換で祈念を記念と間違えそうになる。犯してはならないものでしょう。

 

  万世特攻平和祈念館(ばんせい)

  玄関

 加世田のバス停留場を降り、近くの観光案内所でレンタサイクルを借りて、吹上浜に向かう。 今日は慰霊祭がおこなわれていたようだ。ご遺族と思われるような人を見かけた。 

 館内にはゼロ式水上偵察機が展示されている。近くの吹上浜で墜落していたものを引き上げたものです。実物の水上機を見たのは初めてで、意外と大きかったのには驚きました。

 

 ゼロ式水上偵察機

 

 ここは終戦間際の4か月間に陸軍飛行場として使用され、201人の隊員の方が特攻されてお亡くなりになりました。 館内では隊員の方のご遺影と貴重な遺品をみることができる。

 

  知覧特攻平和会館

 知覧へは鹿児島中央、枕崎、指宿からのバス便がある。知覧の特攻平和会館のバス停で降りるとすぐです。万世より良く知られているようで、学生の団体など入館者は多く見られた。

 陸軍の特攻出撃者1036人のうち439人がここ知覧から出撃した。 隊員の遺品や遺書など多くのものを見ることができる。

 遺品などの展示物


 ここの英霊たちの散華の後に我々が生存しているのである。 決して彼らのことを忘れることなかれ。 

 

  下記は 老生の特攻に関連するものです


  映画 永遠のゼロ

  上原良司氏の特攻

  妻との特攻 谷藤徹夫・朝子

  陸軍桶川飛行学校 練習機での特攻


        2023-7-1







      薩摩藩英国留学生記念館   いちき串木野

 

 記念館


 串木野駅からバスで薩摩藩英国留学生記念館へ行く。 あいにく雨で風の強い日和であった。 開館の30分前であったが、気持ちよく入場を許された。 帰りは上写真の赤い送迎バスでヨット停泊地まで親切に送ってもらう。

 薩摩人のスゴイところは攘夷の気分が昂揚している時においても、薩英戦争で負けたのではなく実際は引き分けなのだが、自ら方針を固執することもなく変更して、敵国英国へ留学生を派遣して学ぼうとするところである。 同じように長州も馬関戦争後に留学生を出すことになる。 薩長とも維新を成し遂げたわけだ。

 この地ゆえか、再度ヨット世界一周を準備されているNさんに串木野でお会いした。


 

 薩摩英国留学生


 

 テラスに作られている船のコックピット

 その日は時化の船上を想起させるような光景であった。



  詳しくは下記をご覧ください。


  薩摩藩 第1次英国留学生

  薩摩藩 第2次米国留学生

  ラドガ-ス大学 日本人留学生

  長州ファイブ・5傑




               2023-7-2









         ヨットで航く  四国巡礼88か所    同航2人


  ヨットで訪ねるお遍路を計画してみました。 徳島で#1から#20 (除く# 12) まで行き、香川に戻って#88から#71までは今年に達成です。ひとまず最初と最後は押さえました。

 来春には逆回りで四国を一周して徳島へ行くつもりです。また、来年は何年かにひとつの逆回りにふさわしい年にあたるそうです。 その際には空海さんに会えるのチャンスがあると聞く。 しかしヨットの海上まで空海さんはは来てもらえないでしょう。




 

 

 時計回りの順番で番号が決まっています








札所番号  霊 場 名                所 在 地

 

  徳島県

 

 

 

                             青字下線はクリックして詳細へ

  
1 番札所   竺和山 霊山寺(りょうぜんじ) 徳島県 鳴門市大麻町 板東字塚鼻126
2 番札所   日照山 極楽寺(ごくらくじ) 徳島県 鳴門市大麻町桧字ダンノ上12
3 番札所   亀光山 金泉寺(こんせんじ) 徳島県 板野郡板野町大寺字亀山下66
4 番札所   黒巌山 大日寺(だいにちじ) 徳島県 板野郡板野町黒谷字居内5
5 番札所   無尽山 地蔵寺(じぞうじ) 徳島県 板野郡板野町羅漢字林東5
6 番札所   温泉山 安楽寺(あんらくじ) 徳島県 板野郡上板町引野字寺ノ西北8
7 番札所   光明山 十楽寺(じゅうらくじ) 徳島県 阿波市土成町 高尾字法教田58
8 番札所   普明山 熊谷寺(くまだにじ) 徳島県 阿波市土成町 土成字前田185
9 番札所   正覚山 法輪寺(ほうりんじ) 徳島県 阿波市土成町 土成字田中198-2
10 番札所  得度山 切幡寺(きりはたじ) 徳島県 阿波市市場町 切幡字観音129
11 番札所  金剛山 藤井寺(ふじいでら) 徳島県 吉野川市鴨島町飯尾1525
12 番札所  摩廬山 焼山寺(しょうさんじ) 徳島県 名西郡神山町下分字地中318
13 番札所  大栗山 大日寺(だいにちじ) 徳島県 徳島市一宮町西丁376
14 番札所  盛寿山 常楽寺(じょうらくじ) 徳島県 徳島市国府町延命606
15 番札所  法養山国分寺(こくぶんじ) 徳島県 徳島市国府町矢野718-1
16 番札所  光耀山 観音寺(かんおんじ) 徳島県 徳島市国府町字観音寺49
17 番札所  瑠璃山 井戸寺(いどじ) 徳島県 徳島市国府町井戸80-1
18 番札所  母養山 恩山寺(おんざんじ) 徳島県 小松島市田野町恩山寺谷40
19 番札所  橋池山 立江寺(たつえじ) 徳島県 小松島市立江町字若松13
20 番札所  霊鷲山 鶴林寺(かくりんじ) 徳島県 勝浦郡勝浦町鶴山14
21 番札所  舎心山 太竜寺(たいりゅうじ) 徳島県 阿南市加茂町龍山2
22 番札所  白水山 平等寺(びょうどうじ) 徳島県 阿南市新野町秋山177
23 番札所  医王山 薬王寺(やくおうじ) 徳島県 海部郡日和佐町奥河内寺前285-1

 

 

 

  高知県

 

24 番札所  室戸山 最御崎寺(ほつみさきじ) 高知県 室戸市室戸岬町4058-1
25 番札所  宝珠山 津照寺(しんしょうじ) 高知県 室戸市室津2644
26 番札所  竜頭山 金剛頂寺(こんごうちょうじ) 高知県 室戸市元乙523
27 番札所  竹林山 神峰寺(こうのみねじ) 高知県 安芸郡安田町唐の浜2594
28 番札所  法界山 大日寺(だいにちじ) 高知県 香美郡野市町母代寺476
29 番札所  摩尼山 国分寺(こくぶんじ) 高知県 南国市国分546
30 番札所  百々山 善楽寺(ぜんらくじ) 高知県 高知市一宮2501
31 番札所  五台山 竹林寺(ちくりんじ) 高知県 高知市五台山3577
32 番札所  八葉山 禅師峰寺(ぜんじぶじ) 高知県 南国市十市308
33 番札所  高福山 雪蹊寺(せっけいじ) 高知県 高知市長浜857-3
34 番札所  本尾山 種間寺(たねまじ) 高知県 吾川郡春野町秋山72-1
35 番札所  医王山 清滝寺(きよたきじ) 高知県 土佐市高岡町丁568-1
36 番札所  独鈷山 青竜寺(しょうりゅうじ) 高知県 土佐市宇佐町 竜163
37 番札所  藤井山 岩本寺(いわもとじ) 高知県 高岡郡四万十町茂串3-13
38 番札所  金剛福寺(こんごうふくじ) 高知県 土佐清水市足摺岬214-1
39 番札所  赤亀山 延光寺(えんこうじ) 高知県 宿毛市平田町中山390

 

 

  愛媛県

 

 

40 番札所  平城山 観自在寺(かんじざいじ) 愛媛県 南宇和郡愛南町御荘平城2253-1
41 番札所  稲荷山 龍光寺(りゅうこうじ) 愛媛県 宇和島市三間町戸雁173
42 番札所  一理山 佛木寺(ぶつもくじ) 愛媛県 宇和島市三間町1683
43 番札所  源光山 明石寺(めいせきじ) 愛媛県 西予市宇和町明石104
44 番札所  管生山 大宝寺(たいほうじ) 愛媛県 上浮穴郡久万高原町菅生二番耕地1173                        45 番札所  海岸山 岩屋寺(いわやじ) 愛媛県 上浮穴郡久万高原町七鳥1468
46 番札所  医王山 浄瑠璃寺(じょうるりじ) 愛媛県 松山市浄瑠璃町282
47 番札所  熊野山 八坂寺(やさかじ) 愛媛県 松山市浄瑠璃町八坂773
48 番札所  清滝山 西林寺(さいりんじ) 愛媛県 松山市高井町1007
49 番札所  西林山 浄土寺(じょうどじ) 愛媛県 松山市鷹子町1198
50 番札所  東山 繁多寺(はんたじ) 愛媛県 松山市畑寺町32
51 番札所  熊野山 石手寺(いしてじ) 愛媛県 松山市石手2-9-21
52 番札所  滝雲山 太山寺(たいさんじ) 愛媛県 松山市太山寺町1730
53 番札所  須賀山 円明寺(えんみょうじ) 愛媛県 松山市和気町1-182
54 番札所  近見山 延命寺(えんめいじ) 愛媛県 今治市阿方甲636
55 番札所  別宮山 南光坊(なんこうぼう) 愛媛県 今治市別宮町3-1
56 番札所  今輪山 泰山寺(たいさんじ) 愛媛県 今治市小泉1-9-18
57 番札所  府頭山 栄福寺(えいふくじ) 愛媛県 今治市玉川町八幡200
58 番札所  作札山 仙遊寺(せんゆうじ) 愛媛県 今治市玉川町別所483
59 番札所  金光山 国分寺(こくぶんじ) 愛媛県 今治市国分4-1-33
60 番札所  石鎚山 横峰寺(よこみねじ) 愛媛県 西条市小松町石鎚2253
61 番札所  栴檀山 香園寺(こうおんじ) 愛媛県 西条市小松町南川19
62 番札所  天養山 宝寿寺(ほうじゅじ) 愛媛県 西条市小松町新屋敷428
63 番札所  密教山 吉祥寺(きちじょうじ) 愛媛県 西条市氷見乙1048
64 番札所  石鉄山 前神寺(まえがみじ) 愛媛県 西条市州之内甲1426
65 番札所  由霊山 三角寺(さんかくじ) 愛媛県 四国中央市金田町三角寺75

  松山市周辺  #46から#53

 

 今治周辺 #54から#59

 

 

 徳島県
66 番札所  巨鼈山 雲辺寺(うんぺんじ) 徳島県 三好市池田町白地763-2

 

 

 

  香川県

 

 

67 番札所  小松尾山 大興寺(だいこうじ) 香川県 三豊市山本町辻4209
68 番札所  琴弾山 神恵院(じんねいん) 香川県 観音寺市八幡町1-2-7
69 番札所  七宝山 観音寺(かんのんじ) 香川県 観音寺市八幡町1-2-7
70 番札所  七宝山 本山寺(もとやまじ) 香川県 三豊市豊中町本山甲1445
71 番札所  剣五山 弥谷寺(いやだにじ) 香川県 三豊市三野町大見乙70
72 番札所  我拝師山 曼陀羅寺(まんだらじ) 香川県 善通寺市吉原町1380-1
73 番札所  我拝師山 出釈迦寺(しゅっしゃかじ) 香川県 善通寺市吉原町1091
74 番札所  医王山 甲山寺(こうやまじ) 香川県 善通寺市弘田町1765-1
75 番札所  五岳山 善通寺(ぜんつうじ) 香川県 善通寺市善通寺町3-3-1
76 番札所  鶏足山 金倉寺(こんぞうじ) 香川県 善通寺市金蔵寺町1160
77 番札所   仏光山 郷照寺(ごうしょうじ) 香川県 綾歌郡宇多津町1435
79 番札所  金華山 天皇寺(てんのうじ) 香川県 坂出市西庄町1713-2
80 番札所  白牛山 国分寺(こくぶんじ) 香川県 高松市国分寺町国分2065
81 番札所  綾松山 白峰寺(しろみねじ) 香川県 坂出市青海町2635
82 番札所  青峰山 根香寺(ねごろじ) 香川県 高松市中山町1506
83 番札所  神毫山 一宮寺(いちのみやじ) 香川県 高松市一宮町607
84 番札所  南面山 屋島寺(やしまじ) 香川県 高松市屋島東町1808
85 番札所  五剣山 八栗寺(やくりじ) 香川県 高松市牟礼町牟礼3416
86 番札所  補陀落山 志度寺(しどじ) 香川県 さぬき市志度1102
87 番札所  補陀落山 長尾寺(ながおじ) 香川県 さぬき市長尾西653
88 番札所  医王山 大窪寺(おおくぼじ) 香川県 さぬき市多和兼割96


  霊場マップ

  https://ohenro.mobi/

 

       2023-12-8

 

 

 


 

        徳島・阿波  神社めぐり

 

 

 阿波神社地図

 

  2023年秋巡航88か所のお遍路さんを開始する。 ヨットで徳島へ行き、女医の香川さんの本に導かれて、日本のルーツを探るべき、阿波の神社を訪ねました。 阿波には式内社という古くからの神社が50余りもあるといいます。 古事記も日本書記、旧約聖書も読んだことが無いニワカ知識の老生ですが、これから勉強しながら、現地を紹介していきます。

 現段階ではウンチクを語ることもできないので、道案内程度になるでしょう。 失われたアークの眠る剣山は来年のお楽しみに残しました。 現地交通はJRやバスが利用できれば良いのですが、レンタカーやタクシーになるケースが多い。 関東の方なら、フェリーにオートバイを徳山まで載せる手も有りで安く便利な方法かと思われます。

 

 

   徳島県神社庁

   八百万の神

   神社記憶

【徳島・阿波】阿波説観光ルート・吉野川編 (古事記・聖地

   阿波国の式内社一覧

 

    

 

                              下線青字は神社詳細へクリック(順次作成)

徳島の神社・寺・古墳  所在 由緒  
八倉比売 、気延山 徳島市国府町西矢野 伊勢神宮元宮、卑弥呼の祠、天照大命・卑弥呼、卑弥呼墓  
熊野大明神
阿波市土成町 熊野庄 熊野大社元宮  
樫原神社 阿波市土成町 橿原神宮元宮、 神武天皇の唯一の式内社  
稲荷神社 阿波市市場町稲荷 伏見稲荷元宮  
倭大國魂 美馬市美馬町 大国魂命・大己貴命  大和・奈良神社元宮、 メノラー  
事代主神社 阿波市市場町伊月 事代主  
磐境神明 白人神社 美馬市 穴吹町 ニニギノ命の屋敷、古代ユダヤの祭祀場と同じ、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)陵  
栗枝渡八幡 三好市東祖谷下瀬 キリスト、安徳天皇、 剣山の前に参詣  
諏訪・多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社 名西郡石井町浦庄字諏訪 諏訪大社・長野 元宮  
大御和神社 国府町府中 阿波国総社  2つの鍵の神紋、聖徳太子の門跡  
住吉大明神 徳島市 川内町平石字神蔵 神功皇后、住吉大社・大阪元宮  
船盡神社・歯ノ辻神社 神山町阿野歯の辻    
船盡比賣神社 神山町 神代文字  
白鳥神社 名西群石井町 ヤマトタケル、白鳥陵  
伊邪那美 ・イザナミ 美馬市中鳥 徳島にしか無い  
伊邪那美原社跡 美馬市中鳥・オノコロ島    
八面 竹ケ谷 竹の灯籠  
湯谷 那賀郡那賀町阿井湯谷 手水鉢  
天若日子命神領古墳 経塚古墳 徳島市渋野町入野 動物園近く、  
佐野 神社 徳島市渋野町佐野 神武天皇陣営  
白人神社神明神社 美馬市穴吹町口山 ニニギの命、ユダヤ礼拝所  
新宮神社 美馬市穴吹町口山知野 木花咲夜比賈このはなさくやひめ死亡、  
阿波神社 鳴門市大麻町池谷 土御門天皇火葬塚  
葦稲葉神社 板野郡 上板町 イザナミトイザナギの子、葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀  
       
宅宮 上八万町 意富門麻比売神社(おおとまひめ)、盆踊りの発祥の地・出雲踊り  
忌部神社      
山崎忌部神社      
御所忌部神社      
稲穂忌部神社      
松尾神社 名西郡神山町阿野福原525 松尾神社・京都元宮  
熔造皇・ようぞうのすめら 徳島市八万町海の宮40 蔵元八坂神社に在った、  スサノヲ、  国を開いた偉い人の意、  
剣山 三好市東祖谷見ノ越    
川島城・東道神社 吉野川市川島町川島城山  倭建命 東方遠征の祈願  
法谷寺 徳島市南庄町2-3-2 法隆寺元社,タタリ谷常厳寺  
八人塚古墳 徳島市名東町眉山ゴルフ内 スサノヲの墓?  
蔵元八坂神社 徳島市蔵元町 病院前 熔造皇神社の分祭  
鴨神社 三好郡東みよし町加茂 下鴨神社、上加茂神社の元宮、  炭田古墳が本宮  
藤原京跡 吉野川市鴨島町上下島 持統天皇  位置不明  
五王神社・五瀬神社 佐那河内村寺谷? 、徳島県徳島市八多町、 五瀬命  
天河別神社 古墳群 徳島県鳴門市大麻町池谷 神武天皇の兄、稲飯命・いないのみこと、三毛入野命・みけいりのみこと  
応神町 徳島市応神産業団地 応神天皇のふるさと  
仁徳橋 徳島市応神町西貞方
仁徳天皇のふるさと  
允恭天皇神社 鳴門市大津町大代 允恭天皇  
吉野宮 美馬郡三野町 倭大國魂神社、 伊射奈美神社  
 
建布都神社 阿波市市場町字郷社 川入城  
事代主神社 阿波市市場町伊月宮ノ本 伊月城、 えびすさん  
粟島 神社 阿波市市場町八幡 えびすさんの妻あわしま、八幡宮となり  
手力男命古陵 佐那県府能大小小屋山?    
若杉山辰砂採掘遺跡 阿南市水井町 丹・水銀と硫黄  
津乃峰神社 徳島県阿南市津乃峰町東分 賀志波比賣  
高根山悲願寺 名西郡神山町 阿波邪馬壹国説の中心地で卑弥呼の居城した所  
葦稲葉神社 板野郡上板町神宅字宮の北 葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀する  
萩原2号古墳 鳴門市萩原 最古の古墳群  
矢野遺跡 徳島市国府町矢野 考古資料館が近い、西日本最大級の縄文遺跡、 八倉比売神社近く  
大麻比古神社 鳴門市大麻町坂東 忌部氏始祖 天日鷲命の子とされている大麻比古神  
生夷 勝浦郡勝浦張沼江田中 事代主神社、 えびすさんが生まれた  
勝占 徳島市勝占町中山 事代主命、須勢理姫命、少名彦命、玉櫛姫命、大山祇命  
八鉾 阿南市長生町宮内 大国主命(八千矛神・ヤチホコ) 生誕地、出雲大社元宮、  
御縣・豊国 小松島市中郷町字豊の本 式内社。別称は宮方神社。祭神は大己貴命または事代主命  
天村雲神社 吉野川市山川町村雲 大神主、伊勢神宮外宮、天村雲命、近く山崎忌部神社にも在る  
三木家 美馬市木屋平貢 阿波忌部氏当主、即位の儀、大嘗祭に献上される麁服(あらたえ)の栽培地  
東宮御所神社 名西郡神山町上分殿宮 ニニギノ命、皇太子が住む地  
春宮神社 美馬市木屋平春宮山    
高越山   イザナミの墓所  
賀志波比売 阿南市見能林町栢野 天照大御神生誕地、賀志波比売は幼少期の名  
佐野神社 徳島市渋野町 神武天皇の東征の起点  
薬王子神社 阿波市土成町 小名比古那神・スクナヒコナ、温泉開発、  
天岩戸神社・手力男命拝殿 佐那県布大小小屋能山 大国主命の家臣の手力男命、  
雨返八幡神社 神山町阿野字雨返64番地 須佐之男命と櫛名田比賣の出会いの場  
鬼籠野神社 徳島県名西郡神山町鬼籠野    
上一宮大粟神社 徳島県名西郡神山町神領西上角330 「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ、大宜都比売命 (おおげつひめのみこと) - またの名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)あるいは大粟比売命(おおあわひめのみこと)とされる。  
天石門別豊玉比売神社 徳島県徳島市国府町矢野 宮谷531 徳島県徳島市眉山町大滝山1(春日神社境内)  
豊崎八神社 徳島県徳島市名東町1丁目    
産(うぶ)八幡神社 徳島県徳島市加茂名町 海ノ宮10 品陀和気命(応神天皇) 誉田別命 息長帯比売命(神功皇后)、応神天皇の生まれた地  
山方比古神社 徳島県徳島市多家良町立岩 末社として所管する立岩神社、金山比古・鍛冶の神  
藤氏神社 吉野川市、徳島県 持統天皇 藤原京  
豊浦神社 小松島市赤石町 33代推古天皇 豊浦宮  
田中宮 小松島市中田町 34代舒明天皇 東八幡神社付近  
黒岩神社 徳島市八万町福万山    
上下島若宮八幡神社 吉野川市ヨシノガワシ鴨島町上下島カモジマチョウジョウゲジマ宮内73 藤原京  
飯尾天神社 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1780 藤原京  
嵯峨天一神社 徳島県名東郡佐那河内村下宮本    
和奈佐意富曽神社 海部郡海陽町大里松原    
宇母理比古神社 徳島市八多町森時41 ウガヤフキアエズノミコトとは日本の初代天皇と伝わる神武天皇の父  
速雨神社 徳島市八多町坂東91 ウガヤフキアエズノミコトの母は豊玉姫  
山方比古神社,金山神社 徳島市多家良町立岩 鍛冶の神 金山毘古神を主祭神とし境内に八咫の鏡を制作した天津麻羅を祀る  
渋野丸山古墳 徳島市渋野町三ツ岩1−1、1-2,1-3 他、    
伊加加志神社 吉野川市川島町桑村 崇神天皇の母  
鬼籠野神社・おろの 名西郡神山町鬼籠野 スサノオ  
御甌神社・おかめ 名西郡神山町    
宇佐八幡神社 名西郡神山町下分西寺 応神天皇  
白龍明神 美馬市木屋平森遠    
川上神社 美馬市木屋平川上198    
       
       
和歌山の神社      
       
丹生都比売神社 伊都郡かつらぎ町上上野 丹生都比売神を祀る神社の総本社  
       
       

 

 

                            2023-12-6

 

  

 

 

      阿波国の式内社一覧

 

 阿波国の式内社一覧(あわのくにのしきないしゃいちらん)は、『延喜式』第9巻・第10巻「神名帳上下」(延喜式神名帳)に記載のある神社、いわゆる「式内社」およびその論社のうち、阿波国に分類されている神社の一覧。

また『延喜式』神名帳の編纂当時に存在したが同帳に記載の無い神社、いわゆる「式外社」についても付記する。

式内社
『延喜式』神名帳では、大社3座3社・小社47座43社の計50座46社を記載。

(凡例)
1)「神名帳」列は、『延喜式 上巻』(大岡山書店、昭和4年、国立国会図書館デジタルコレクション)等における『延喜式』神名帳の記載を基に作成。社名表記は神社史料集成(5を参照)における字体(異体字がある場合には新字体・通用性の高い字体を使用)を基準とした。読みの「-」部分は、「神社」以外で仮名が振られていない部分。「○座」は座数を表し、一座の場合は記載していない。
2)格の「名神大」は名神大社を、「大」は式内大社(名神大社除く)を、「小」は式内小社を意味する。付記は社名とともに記されているもので、一部は「式内社#式内社の社格」を参照。
3)比定社が複数ある場合、最も有力なものを無冠で示し、他の論社には「(論)」を冠した
4)本来の式内社とは認めがたいものの、式内社を合祀したなどその後継を主張するもの、その他参考の神社には「(参)」を冠した。
5)「集成」列は神社史料集成(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)における神社項へのリンク先を記載。


 神名帳  比定社  集成
 社名  読み  格  付記  社名  所在地  備考


 板野郡4座(大1座・小3座)表話編歴


大麻比古神社 オホアサヒコノ 名神大 大麻比古神社  徳島県鳴門市大麻町板東 阿波国一宮 [1]
鹿江比賣神社 カエヒメノ 小 (論)(合祀)葦稲葉神社  徳島県板野郡上板町神宅
(論)鹿江比賣神社  徳島県鳴門市大麻町板東 大麻比古神社境内社
宇志比古神社 ウシヒコ 小 (論)宇志比古神社  徳島県鳴門市大麻町大谷
(論)宇志比古・宇志比売神社  徳島県鳴門市大麻町板東 大麻比古神社境外摂社
岡上神社 ヲカノカミノヲカノウヘノ 小 岡上神社  徳島県板野郡板野町大寺


 阿波郡 2座(並小)表話編歴


建布都神社タケフツノ 小 (論)建布都神社  徳島県阿波市市場町香美
(論)建布都神社  徳島県阿波市土成町郡
(論)赤田神社  徳島県阿波市土成町成当
(論)伊笠神社  徳島県阿波市市場町犬墓
(論)(合祀)八幡神社  徳島県阿波市市場町香美
事代主神社 コトシロヌシノ 小 事代主神社  徳島県阿波市市場町伊月


 美馬郡 12座(並小)表話編歴


鴨神社 カモノ 小 鴨神社  徳島県三好郡東みよし町加茂
田寸神社タワノ 小 (論)田寸神社  徳島県三好郡東みよし町加茂
(論)西照神社  徳島県美馬市脇町西大谷
(論)武大神社  徳島県三好市井川町井内西
(論)(合祀)鴨神社  徳島県三好郡東みよし町加茂
(論)(合祀)八幡神社  徳島県三好郡東みよし町三庄
(論)太田神社(田寸神社) 徳島県美馬郡つるぎ町貞光太田東
横田神社 ヨコタノ 小 (論)横田神社  徳島県三好郡東みよし町加茂
(論)(合祀)鴨神社  徳島県三好郡東みよし町加茂
伊射奈美神社 イサナミノ 小 (論)伊射奈美神社  徳島県美馬市穴吹町三島
(論)伊射奈美神社  徳島県美馬市美馬町中鳥
(論)高越神社  徳島県吉野川市山川町木綿
(論)十二所神社  徳島県美馬市穴吹町口山字尾山
建神社 タケノ 小 (論)建神社  徳島県美馬郡つるぎ町半田
(論)建神社  徳島県美馬市脇町猪尻
(論)竹神社  徳島県三好市池田町松尾
天椅立神社 アメヨリタテノアマノハシタテ 小 (論)天椅立神社  徳島県三好郡東みよし町昼間
(論)天戸八坂神社  徳島県三好郡東みよし町昼間
天都賀佐毘古神社アマツカサヒコノ 小 (論)天都賀佐比古神社  徳島県美馬市美馬町轟
(論)天津賀佐彦神社  徳島県美馬市美馬町西荒川
八十子神社 ヤソコノ 小 蜂須神社  徳島県美馬郡つるぎ町貞光
(論)(合祀)正八幡宮  徳島県美馬市穴吹町三島小島
弥都波能売神社 ミツハノメノ 小 (論)武大神社  徳島県三好市井川町井内西
(論)八大竜王神社  徳島県美馬市脇町拝原
(論)建神社  徳島県美馬市脇町猪尻
(論)八坂神社  徳島県美馬市美馬町滝の宮
波尓移麻比弥神社ハニヤマノ- 小 (論)馬岡新田神社  徳島県三好市井川町井内東
(論)波爾移麻比禰神社  徳島県美馬市脇町大字北庄
倭大国玉神大国敷神社 二座 ヤマトオオクニ- 小 医家神社  徳島県三好市池田町マチ
(論)倭大国魂神社  徳島県美馬市美馬町東宮ノ上


 麻殖郡 8座(大1座・小7座)表話編歴


忌部神社イムヘノ 名神大 月次新嘗 或号麻殖神 或号天日鷲神 忌部神社  徳島県吉野川市山川町忌部山 [2]
(論)御所神社 徳島県美馬郡つるぎ町貞光 忌部神社境外摂社
(参)忌部神社徳島県徳島市二軒屋町
天村雲神伊自波夜比売神社 二座 アマムラクモノ 小 (論)天村雲神社  徳島県吉野川市山川町村雲
(論)天村雲神社 徳島県吉野川市山川町流 忌部神社境外摂社
伊加加志神社イカカシノ 小 伊加加志神社  徳島県吉野川市川島町桑村
天水沼間比古神天水塞比売神社 二座 アマツヌマヒコノ-アマノミツセキヒメノ 小 (論)(合祀)敷島神社  徳島県吉野川市鴨島町敷地
(論)杉尾神社  徳島県吉野川市鴨島町牛島
(論)美奴間神社  徳島県吉野川市美郷別枝山 平八幡神社境内末社
秘羽目神足浜目門比売神社二座 ヒハメノ- 小 (論)杉尾神社  徳島県吉野川市鴨島町牛島
(論)中内神社  徳島県吉野川市鴨島町西麻植
(論)八幡神社  徳島県吉野川市川島町児島


 名方郡 9座(大1座・小8座)表話編歴


天石門別八倉比売神社-ヤクラヒメノ 大 月次新嘗 (論)八倉比売神社  徳島県徳島市国府町矢野 阿波国一宮 [3]
(論)上一宮大粟神社 徳島県名西郡神山町神領 阿波国一宮
(論)一宮神社 徳島県徳島市一宮町西丁 阿波国一宮
天石門別豊玉比売神社 -トヨタマヒメノ 小 (論)天石門別豊玉比売神社  徳島県徳島市眉山町 春日神社境内
(元は徳島城内)
(論)豊玉姫神社  徳島県名西郡神山町神領 上一宮大粟神社境内社
(論)(合祀)猿田比古神社  徳島県名東郡佐那河内村下字高樋 大宮神社境内社
麻能等比古神社 マノ- 小 (論)大麻比古神社  徳島県徳島市明神町
(論)桜間神社  徳島県名西郡石井町高川原
(論)(合祀)天神社  徳島県徳島市入田町天ノ原
和多都美豊玉比売神社 ワタツミトヨタマヒメノ 小 (論)雨降神社  徳島県徳島市不動西町
(論)王子和多津美神社  徳島県徳島市国府町和田
(論)王子神社  徳島県名西郡石井町高原
(論)井上八幡神社[1]  徳島県徳島市国府町井戸北屋敷
大御和神社オホミワノ 小 大御和神社  徳島県徳島市国府町府中
天佐自能和氣神社 アマサシノワケノ 小 天佐自能和氣神社  徳島県徳島市不動東町
御間都比古神社 ミマヅヒコノ 小 御間都比古神社  徳島県名東郡佐那河内村下モノミ石
多祁御奈刀祢神社 タケミナトミ 小 多祁御奈刀弥神社  徳島県名西郡石井町浦庄
意富門麻比売神社オフトマ-オホ- 小宅宮神社 徳島県徳島市上八万町上中筋


勝浦郡 8座(並小)表話編歴


勝占神社 カツタノカツウラノ 小 勝占神社 徳島県徳島市勝占町
事代主神社 コトシロヌシノ 小 生夷神社  徳島県勝浦郡勝浦町沼江
山方比古神社 ヤマカタノ- 小 (論)山方比古神社(金山神社) 徳島県徳島市多家良町
(論)立岩神社 徳島県徳島市多家良町 金山神社境内社
宇母理比古神社 ウモリ- 小 宇母理比古神社  徳島県徳島市八多町
阿佐多知比古神社 アサタチ- 小 朝立彦神社  徳島県徳島市飯谷町
速雨神社ハヤアメノ 小 速雨神社  徳島県徳島市八多町
御県神社ミアカタノ 小 御縣神社  徳島県小松島市中田町 豊國神社境内社
建嶋女祖命神社 タケシマ- 小 建嶋女祖命神社  徳島県小松島市中田町


那賀郡 7座(並小)表話編歴


和耶神社 ワヤノ 小 (合祀)羽浦神社  徳島県阿南市羽ノ浦町中庄
宇奈為神社 ウナヰノ 小 宇奈為神社  徳島県那賀郡那賀町木頭
和奈佐意富曽神社ワナサイフソノワナサオホソ 小 (論)和奈佐意富曽神社  徳島県海部郡海陽町大里
(論)(合祀)羽浦神社  徳島県阿南市羽ノ浦町中庄
(論)蛭子神社  徳島県那賀郡那賀町和食
室比賣神社 ムロヒメノ 小 室比賣神社  徳島県阿南市新野町入田
阿津神社  徳島県海部郡海陽町相川
建比売神社 タケ- 小 古烏神社  徳島県阿南市宝田町 正八幡神社境外末社
八桙神社-ホコノ 小 八桙神社  徳島県阿南市長生町
賀志波比売神社 カシハヒメノ 小 (論)津峯神社 徳島県阿南市津乃峰町                                  (論)賀志波比売神社  徳島県阿南市見能林町 八幡神社飛地境内社



式外社 『延喜式』神名帳の編纂当時に存在したが、同帳に記載の無い神社。

国史見在社

この節の加筆が望まれています。
六国史に記載のある式外社。

 文献 比定社 集成
 神名  記事  社名  所在地 備考
葦稲葉神(葦稲羽神) 『続日本紀』承和9年(842年)10月2日条ほか  葦稲葉神社  徳島県板野郡上板町神宅 [4]
白鳥神『日本三代実録』貞観3年(861年)3月6日条 白鳥神社 徳島県名西郡石井町石井字白鳥
伊比良咩神 『日本三代実録』貞観14年(872年)11月29日条  伊比良咩神社 徳島県板野郡藍住町徳命
船尽比咩神 『日本三代実録』貞観14年(872年)11月29日条  船尽神社 徳島県名西郡神山町広野
白馬神 『日本三代実録』元慶7年(883年)12月2日条 白鳥神社  徳島県名西郡石井町石井字白鳥
埴生女屋神 『日本三代実録』元慶7年(883年)12月28日条  埴生女屋神社 徳島県名西郡神山町神領




参考文献
皇典講究所・全国神職会校訂『延喜式 上巻』(大岡山書店、昭和4年) - 国立国会図書館デジタルコレクション
『延喜式 第2』(日本古典全集刊行会、昭和4年) - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

      2023-12-14

 

 

 

 

 

 

   邪馬台国  完全論証1-4  ANYAチャンネルによる

 

 1. 阿波から日本が始まった     44分

 2. 邪馬台国 曲解/歪曲 一切無し!  37分

 3.-1 『倭人伝の行程以外の考察』  10分

 3.-2 『阿波の食料需給と奈良遷都』  11分

 3.-3 『DNAゲノム解析で分かる四国』  9分

 4.  四国・阿波の人へ まとめ   9分

 5.  阿波に来た人達

 6.  『渡来人』          9分

 7.  会稽東治/東冶の東』   9分

 8. 『神武東征と徐福伝説』   12分

 9.  やって来たユダヤの民    14分

 10. 契約の箱は剣山には無い  17分

 11.  完結 『卑弥呼/阿波の人の正体』   22分

 12.  日本国 は 倭国の別種なり   9分

 13.  『倭国の歴史 は 阿波の歴史』   15分

 14.  そして阿波は・・           10分

 

 

 

 

 

      古代の阿波