歴史・郷土史 2


 

 項目

 

西郷・隠岐騒動

萩城下町 その1

萩城下町 その2

隠岐神社

黒木御所と由良比女神社

隠岐国分寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


   西郷・ 隠岐騒動

 

 隠岐諸島

 

 ヨットの航海において、隠岐諸島へは何か行く目的がないと、本土側を航行してそこをスル-されてしまう。 小生も何度かチャンスがあったが行けずしまいであった。

 今回の春巡航は、母港岡山に向かう新幹線の中で、九州へクル-ズする予定を急に変更して、何も下準備のないまま隠岐へ行くことを決めた。 その理由は九州一周をするプランのなか、その航程が長いのでレグを春と秋に分けることになる。春レグの終わりに天草のマリ-ナに、秋まで短期係留になることに不安を感じたからである。 そのことは、マリ-ナ係留中に台風シ-ズンにぶつかり、天草に本人が滞在しないで台風に対処するのは難しいかなと不安に思ったのが大きな変更の理由となった。

 それゆえ隠岐に行くことにした。また、ここでもよく維新のことを取り上げている。その中に長州などで結成された諸隊をアップしている。

  神機隊と芸州の諸隊

 諸隊について調べていると隠岐正義党のことを知り、ここでそれを取り上げた。 現地の隠岐を訪ねれば、もう少し何かわかるのではないかと考えてヨットで訪ねることにする。他にも海士町での先進的な漁業の取り組み、島留学と島移住の話とか興味をもった。

 

 本土の七類で隠岐に渡る風待ちをした。日和を見て隠岐へ航海する。 

  さて、西郷に着いた。観光案内所で隠岐騒動のことを尋ねる。 隠岐正義党に関しての資料は持っていないようだ。 観光案内所でもそのことに詳しくない。 自分で探すしかなく、レンタサイクルで市内を廻った。 現在のドラッグストアの近くに隠岐騒動勃発碑の石碑を見つけた。ここは松江範の陣屋跡でここに島民が囲んで明け渡しを求めた。

 日露戦争でのロシア人墓地をさがしているなかで、運動公園に報国記念碑があるのを見つける。 それは隠岐騒動で14名の同志や日清戦争までの戦死者祀っている。 この地は幕末の頃の練兵所があったところだ、騒動の時に島民3000人が集合した地である。 小生が騒動に関して見ることができたのは、この2つのみであった。

 

  自宅に帰って調べてみると、「隠岐騒動の史跡を訪ねて」というパンフレットを見つけた。これこそ現地で欲しかったものだ。 西郷で風待ちで8日余りも滞在したので、このパンフレットに載っている各地とその付近には行っている。 惜しいことをしたものだ。

 仙崎では「金子みすず」、隠岐は「ジオパ-ク」1本に染まっていて他のテ-マには目もくれない一辺倒の状況だ。観光政策も幅広さをもっと持ってほしいものだ。 ジオパ-クと言っても、ぶらタモリではあるまいし、地学好きの人がここへ集まるわけではないと思う。 観光案内所は知識が浅いことが多いようなので、やはり歴史的なことについては教育委員会で尋ねてみるべきだったと後になって思う次第である。

 隠岐クル-ズは少しの不満を残すことになった。急遽航海計画を変更した調査が不十分な計画にもその責任がある。 ホンダワラの絡みに苦しんでも、目的港以外の避難港が考えられていないので、難儀な航海をするハメになったも自分のせいである。。

 

 隠岐騒動 西郷         自宅に帰って見つけた資料

 

 隠岐騒動記念碑、  松江藩の陣屋があった



 記念碑説明板



 報国記念碑  同志14人が祀られている



  日露戦争 ロシア軍人戦没者墓地



 

     2022-8-12






        萩城下町 その1


  JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。

 

    参照  ぶらり はぎ散歩 地図   この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。

     これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。  

 

   松本川の右岸地区 松陰神社など



  松本川右岸地図  松陰神社など

 

  以下を自転車で見てきました。

 ① 松陰神社、松下村塾、吉田松陰旧宅

 ② 松浦松洞誕生地

 ③ 品川弥二郎誕生地

 ④ 吉田稔麿誕生地

 ⑤ 伊藤博文別邸

 ⑥ 玉木文之進旧宅

 ⑦ 東光寺

 ⑧ 山田顕義誕生地

 ⑨ 楫取素彦旧宅

 ⑩ 郡司鋳造所跡

 ⑪ 萩反射炉

 ⑫ 恵美須ケ鼻造船所跡

 ⑬ 吉田松陰誕生地

 

 ① 松陰神社、 ここに塾や旧宅がある

 

  ① 松下村塾 半世紀前に訪ねたがこの場所にあったのであろうか?



  ① 吉田松陰幽囚の旧宅、 旧杉家宅



  ② 松浦松洞誕生地、  松下村塾生、 松陰の絵を残す、 尊王攘夷志士の弾圧に抗議して切腹した

  



  ③ 品川弥二郎誕生地、 見逃して通り過ぎる、  松下村塾生、高杉晋作、木戸孝允、山田顕義らと維新に貢献、明治になり欧米に6年間留学

 

 

 ④ 吉田稔麿誕生地 池田屋事件で討ち死に、 松門4天王




  ⑤ 伊藤博文別邸  

 

 ⑥ 玉木文之進(たまきぶんのしん)旧宅、  松下村塾創立者、松陰の叔父、松陰と乃木希典を厳しく教育、前原一誠の乱で責任を取り自害。

 

  ⑦ 東光寺  毛利家の菩提寺

 

 

  ⑧ 山田顕義誕生地、 松下村塾生、大村益次郎から学ぶ、禁門の変で敗北、高杉晋作の功山寺挙兵に参加、戊辰戦争、西南戦争に活躍、司法大臣に就任し法典整備に尽くす、伯爵、 日大の学祖、



  ⑨ 楫取素彦旧宅



  ⑩ 郡司鋳造所跡、 幕末には大型大砲の鋳造


 

  ⑪ 萩反射炉, 試験炉であった模様、




  ⑫ 恵美須ケ鼻造船所跡、 1853年の大型船建造の解禁により、1856年に伊豆戸田村の棟梁が萩に派遣されここに造船所を建設、丙辰丸、庚申丸、


 

 

  造船所見取り図


  




  ⑫ 吉田松陰誕生の地









  萩焼の登り窯があちこちで見られる




     2022-8-18








        萩城下町 その2


 JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。


 参照   ぶらり はぎ散歩  地図    この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。


 これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。





 

 

  


 ① 御船蔵

 ② 旧山村家旧宅

 ③ 野山獄、 岩倉獄

 ④ 女台場

 ⑤ 繁沢家長屋門

 ⑥ 木戸孝允旧宅

 ⑦ 青木周弼旧宅地

 ⑧ 高杉晋作誕生地

 ⑨ 旧益田家物見櫓

 ⑩ 旧周布家長屋門

 ⑪ 北の総門

 ⑫ 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋

 ⑬ 口羽家住宅

 ⑭ 旧児玉家長屋門

 ⑮ 村田清風別宅跡

 ⑯ 久坂玄瑞誕生地

 ⑰ 旧田中別邸

 ⑱ 井上剣花坊誕生地

 ⑲ 渡辺萬蔵旧宅

 ⑳ 山形有朋誕生地

 ㉑ 旧湯川家屋敷

 ㉒ 桂太郎旧宅

 ㉓ 井上勝旧宅

 ㉔ 前原一誠旧宅

 ㉕ 堀内鍵曲

 

 

  街並み保存地区 浜崎

 

  浜崎保存地区 ① ②

 

 

 ① 御船蔵


 

 ②  旧山村家旧宅



 

 200石取りの岩倉が西隣の野山200石取へ酒に酔い切り込み殺傷事件を起こして、両家が取り潰しになりそれぞれ監獄となった。

 

 ③ 野山獄  士分のあるものの監獄となる。 吉田松陰がここに投ぜられた

 

  野山獄と岩倉獄   高須久子

  http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-415

 

 ③ 岩倉獄  庶民が入獄し待遇も悪かった、松陰と渡米に失敗して捕えられた金子重輔はここで獄死した




 ④ 女台場  海防のための土塁築造に武士の妻や奥女中が参加したので女台場とよばれる




  重要伝統的建造物保存地区  堀内地区  侍屋敷地区

 三の丸のほぼ全域で藩の上級武士が住んだ。 明治になり多くの人が東京に住んだという。 今でも地元の人は堀内の住所だと上流の人だと思われるという。 ⑬ ⑭ ⑩ ⑨ ⑪ ⑭ 


  堀内地区 三の丸




  同  武家屋敷区

 北の総門から堀之内を出て、菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁に囲まれた地域. 200石程度の中級武士の居住区

  ⑧ ⑦ ⑥ 

 

  武家屋敷地区



 ⑤ 繁沢家長屋門  1094石取りの藩の要職




  ⑥ 木戸孝允旧宅  



 ⑦ 青木周弼旧宅地  蘭学医、シ-ボルトに師事、高杉晋作が痘瘡にを治療


 

 ⑧  高杉晋作誕生地




 ⑨ 旧益田家物見櫓  須佐に領地を持つ永代家老、禁門の変で切腹





  ⑩ 旧周布家長屋門  永代家老益田家の庶流、1530石取り





 ⑪ 北の総門  3の丸(堀内)に入るための門、他に中の総門と平安古の総門とで城下町を分けた



 ⑫ 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋  萩城の南すぐちかくにある、厚狭毛利家の武家屋敷、8371石を領す、





  ⑬ 口羽家住宅  江戸藩邸の門を移築した、永代家老に次ぐ家柄





  ⑭ 旧児玉家長屋門  2243石取り、




 ⑮ 村田清風別宅跡  藩政改革を行い、その財力が維新への原動力となった


 


 

 ⑯ 久坂玄瑞誕生地  松陰に学び絶賛されたが禁門の変で死す




  ⑰ 旧田中別邸  26代総理の田中義一の別邸  





 ⑱ 井上剣花坊誕生地  明治3年に生まれ川柳で活躍




  ⑲ 渡辺萬蔵(わたなべこうぞう)旧宅  天野清三郎ともいい、松陰に学び、尊王攘夷の運動に加わアる、米英に留学して造船を学ぶ、  



  ⑳ 山形有朋誕生地



   ㉑  旧湯川家屋敷   藍場川が邸内に流れている、城下に行く水を管理していたという




  ㉒ 桂太郎旧宅  桂太郎が少年時代にここで過ごした、建物は明治42年に移築されたもの




  ㉓ 井上勝旧宅   長州ファイブとして英国に渡り、鉄道の父として活躍



  ㉔ 前原一誠旧宅  前原の表札があったが、見学できないようです。静かな佇まい




  ㉕  堀内鍵曲 (かいまがり)  侵入した敵を迷わせるもの

 

         2022-8-19





     隠岐神社




  菱浦と隠岐神社、   赤丸は菱浦ヨット係留地



  中の島の菱浦にヨットを係留した。 そこからフェリ-乗場にある観光案内所で自転車を借りて、隠岐神社に向かった。 フェリ-の到着時間に合わせてそこへ行くバスもある。 菱浦から諏訪湾沿いに海士町の役場を経由して隠岐神社に行くことができる。 所要時間は15-20分くらいでしょう。  

 隠岐神社は後鳥羽上皇を祀った神社である。 後鳥羽上皇が1221年(承久3年)執権北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れて隠岐に流された。NHKの大河ドラマで、もうすぐ承久の乱について放映されると思う。 御在所跡、御火葬塚、資料館を見た。




  隠岐神社 鳥居




  隠岐神社 拝殿

 

  後鳥羽上皇 御在所跡

 

 後鳥羽天皇御火葬塚、  1236年後鳥羽上皇が崩御され火葬

 

 ここの帰りに村上家と因屋城を訪ねた



  村上家と因屋城中の島

 

 後鳥羽上皇をお世話した村上家である。 資料館で案内の方に村上海賊とは関係があるのかどうかと尋ねた。 その関係した資料は見つからないと答えられた。 しかし村上海賊に関係した子孫の方はこの島にいるということです。 江戸時代であるか明治なのか定かではないが、全国長者番着けにこの村上家は載っている。かなりの有力者であったのでしょう。  というより、敷地から因屋城に行ける。 敷地の中に祖先が作った城跡の遺跡を持つ。 有力豪族であったのだろう。

 

 

 村上家・資料館

 

 戦国期には毛利に味方し1566年尼子についた丹後・但馬の海賊衆が攻めよせてきたが撃退した。




  因屋城の案内板





  本丸跡、(標高20m)  朝霞神社の祠




    2022-8-28






    黒木御所と由良比女神社    西の島



  黒木御所と由良比女神社 


 係留している中の島・菱浦から内航フェリ-・連絡船(200円)にのり西の島・別府へ行ってきた。 そこではレンタサイクルを借りて、黒木御所と浦郷の由良比女神社を訪ねる。

  黒木御所

 

  黒木御所は連絡船やフェリ-を降りてすぐ徒歩5分位でいくことができる。 黒木御所碧風館では20分程度の解説が聞くことができる。 ここから少し登って行くと黒木御所に至る。

 後醍醐天皇が元弘元年(1332年)に討幕の戦いで敗れ、後鳥羽上皇の先例に習い隠岐へ配流になり黒木御所に移された。約1年後に脱出して「建武の中興」となる。





  黒木御所案内板




 黒木御所碧風館、  展示と説明がある



  黒木御所跡



  由良比女神社



  別府から山越えの道を抜けると橋があり、その手前を降りてゆくと鶴丸ホテルへ出る。海の駅も併設されていてヨットが係留できる。

 

   隠岐シ-サイド・鶴丸ホテル、   海の駅桟橋   




  西ノ島大橋

 

 トンネルを抜けて西ノ島大橋(  )を通ると浦郷地区へ出る。 ここは観光船に乗ることができる。 由良地区へ行くと由良比女神社がある。平安時代は隠岐一の宮であった。 千夫里島からここに移築されたとかで、その時のイカにまつわる云われがある。神社の下の浜にイカの大群が押し寄せるようになり「イカ寄せの浜」と名付けられた。 イカ長者が何人も生まれたという。



  由良比女神社、 一の鳥居と本殿




   イカ寄せの浜


        2022-8-29








      隠岐国分寺

 

 島後 隠岐の島町、  国府尾城と後醍醐天皇行在所跡・隠岐国分寺

 レンタカ-を借りて島の東側を回った。 その時に隠岐国分寺に立ち寄る。

 奈良時代に日本各地建立された国分寺は現在でもその地名として残っているところが多い。本堂は明治と昭和に再建され焼失した、再建されている。 消失の後に発掘調査をされて旧本堂跡とされるところが発掘された。 近くに隠岐国分尼寺跡も見つかっている。


 

 隠岐国分寺  明治の廃仏毀釈で焼け、1950年再建しまた消失、 2014年本堂再建




  後醍醐天皇行在所跡、  黒木御所も後醍醐天皇行在所と言われるが判然としない





  山門



 国分寺の隣に牛突きの会場Oki Momo Dome がある。 ニュ-ス等でそれを知るのみで、実際には目にしたことはない。


  Oki Momo Dome





        2022-8-30